礼拝の話

2023/07/04 

6月30日(金) 聖書 コヘレトの言葉 2章24~25節 保健体育科 山﨑

ここ数年でスポーツ界ではAI技術の導入により「審判という役目を人が担わなくても良くなってきている」ということが増えてきました。

バレーボールのネーションズリーグが世界のいくつかの開催国を転戦しながら行われていますが、今までの試合と違っていることが1つありました。

それはラインズマン、線審が配置されていないことです。

審判はネットの両サイドに主審と副審しかいません。

解説によれば、今回の大会からインかアウトかをAIによる自動判定で瞬時に確認するとのことでした。

昨年のサッカーのワールドカップでも「三苫の1㎜」と言う言葉が話題になりましたが、他のスポーツでも映像確認によるリクエスト方式を取っている種目が増えてきています。

そう遠くない将来、中高生の県内大会でもこのようなシステムが導入されてくるかもしれません。

スポーツ以外でも、この世の中にはAI技術が多く用いられています。

スーパーなどでもセルフレジや電子マネー決済、クレジット決済などが増え、店員さんの人件費削減やおつりの間違いをなくすことにつながっています。

そんな便利なものである一方で、人間が考えたり、工夫したり、判断したりする機会が奪われていることも事実です。

人は脳を使い、体を動かすものだからこそ体力を保ち、心の潤った生活ができる生き物です。

どんなにAI技術が進んでも、人間にしかできないことがあります。

自分で考え、工夫し、判断するから得られる喜び、味わえる満足感があるのだと思います。

期末試験を控え、それぞれ覚えたり、計算したりすることがたくさんあることでしょう。

大変だ、テストのない国に行きたい…と思って取り組んでいる人も少なくないと思いますが、私たちが人として脳を使える機会があるということはありがたいことです。

そのありがたさが実感できるのは大人になってからなのかもしれませんが、その労苦によって魂を満足させられれば、おのずと自分が望む結果を得られることにつながってくると思います。

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