礼拝の話

2023/06/14 

6月8日(木) 聖書 コリントの信徒への手紙Ⅱ 12章9~10節 社会科 藤村

先日、ある先生からお借りした小説を読んでいると、お話の中に、私の好きな詩人の詩が出てきました。

お話の主人公は、その詩を初めて読んだ高校生の時と、30代半ばになった今とでは、詩から受ける印象が違う、ということに気付きます。

そうだろうか、と思い、私もこの詩人の詩を読み返してみました。

詩人は、茨木のり子という、第二次世界大戦中に青春時代を過ごし、戦後に詩人として活躍した女性です。

茨木のり子の詩は、はっきりと、凛とした言葉が並んでいます。

小説のなかで、主人公は、「まるで叱られているようだ」と感じたそうです。

今、久し振りにこの詩を読み返すと、確かに少し違った印象を受けます。

昔は、詩を読むことでひたすらに励まされていました。

今は、「どんな思いでこの詩を書いたのだろう」と、作り手の考えに関心がわきます。

茨木のり子さんのあるインタビュー記事を読んでみたとき、彼女の強さばかりに注目していた自分に気付かされました。

確かに、他の作品には恐れや不安、自信のなさが表現されたものがあり、どれも魅力的です。

青春時代には、自分の弱さや未熟さに向き合わなければならないことが多くあります。

定期テストの準備をするときや、結果を受け取るとき。

友達や家族とぶつかって悩んだとき。

進路や将来について考えるとき。

その弱さを、聖書の言葉は肯定してくれます。

今日の聖書箇所には、「力は弱さの中でこそ十分に発揮される」とあります。

とげのように刺さる弱さを取り除くのではなく、弱さと共にあるからこそキリストの力を得られる、というのです。

自分の弱さを認めることは、簡単ではありません。

始めから、そしていつも同じようにはできなくて当然だ、とさえ思います。

しかし、そこできちんと向き合うからこそ、力に変えられるのです。

私たちには、自分自身を見つめる時間と、弱さを委ねられる存在が与えられています。

朝のチャペルの時間は、そのような、自分との対話の時間です。

自分を見つめると、弱さや欠点だけではなく、積み重ねた努力や、乗り越えたときの感情、 支えてくれる周りの人々の存在に気付かされます。

これまでに過ごしてきた時間や経験が、「わずかに光る尊厳」となり、次に踏み出す一歩を 照らしてくれることと思います。

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