礼拝の話

2023/06/14 

6月9日(金) 聖書 ルカによる福音書 6章18~19節 理科 松本

先日、山へ遊びに行った帰りのことです。

山道を車で走っていると、おじいさんが1本のアジサイを背中の後ろに隠しながら両手で大切そうに持っていました。

その先には、車の近くでおじいさんを待っているおばあさんがいました。

私はそのまま車で通りすぎましたが、サプライズでアジサイをおばあさんに渡すのかなという予想までできた光景でした。

そしてアジサイをもらったおばあさんの気持ちを考えると、私も嬉しくなりました。

車のミラーをのぞいて自分自身がにやけていたことに気付いたとき、何となく平和だなあと感じたのでした。

私にとっておじいさんとおばあさんは通りすがりの見知らぬ人ですが、そんな人たちの行いが私の心に平和を与えてくれました。

私たちは1日のうち、多くの時間を学校で過ごします。

勉強が苦手・苦痛と感じる人もいれば、友人との関係が上手く築けず辛い気持ちを抱いている人もいると思います。

今はそうでない人も、いつかは乗り越えなければならない試練が学校生活のなかで訪れるでしょう。

そんなとき、自分の助けになるのは周りの存在です。

訪れた試練を自分自身だけで乗り越えようと頑張り続けていても、心の余裕がなくなっていくだけです。

しかし学校には、クラスメイトや部活動で活動を共にする仲間がいるはずです。

その仲間の行いがあなたの癒しになるかもしれません。

ちなみに私が清和にきてから見かけた心が癒された行いには次のようなものがあります。

「黒板消しを手伝う」「手伝おうかと声をかける」「相手を褒める声が聞こえてくる」「誕生日サプライズを計画する」など、困っている誰かの手助けをする、誰かを喜ばせようとする、そんな姿です。

困っている人を手伝うことや、誰かに喜んでもらうための行動は、当事者だけでなく、その行いを見かける人の心をも癒します。

そして次は自分が誰かを手伝う、喜ばせる番になることができるでしょう。

それを見て、また別の誰かの心が救われるのです。

そんなすてきな連鎖を平和と呼ぶのだと思います。

人と人の関わりを見て心が癒されたことがありました。

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