礼拝の話

2019/07/04 

7月3日(水)聖書:ヨハネによる福音書14章18~20節 日本基督教団 高知東教会 野口幸生牧師

前回、イエスさまを私の救い主として受け入れたという話をしました。
更に3ヶ月後、あぁこれは本当にイエスさまはおられるんだと体験することがありました
留学先には他にも日本人留学生がいて、私が入っていたクリスチャンサークルにもいました。
そのうちの一人に私と同じ時期に留学したシゲがいました。
12月の学期末試験が終わり、クリスマスを迎え、冬休みが終わって1月末ぐらいだったと思います。
寮の前の雪道を歩いていたら、向こうからシゲが青い顔をして歩いてきました。
聞くと「日本の家族から連絡が来て、おばあちゃんが亡くなったって。冬休み日本に帰って、おばあちゃんが大丈夫なようにって、神さまにも祈ってたのに…。でも祈りは聞かれなかったよ。祈っても無駄だった。もう聖書とか神さまとか、もういいよ。もうあのサークルにも行かないからさ。」と、とても落ち込んだ顔で言いました。
何と声をかけてあげればよいのかわからなくて「祈ってるからね」と一言だけいって肩を叩いて、すぐ自分の部屋に戻って、お祈りをはじめました。
「天の父よ。亡くなったシゲのおばあちゃんのために祈ります」と。
そう祈り始めた時、私はもっと早く祈れば良かったと思ったんです。
そうしたら、何か急にこみ上げてきて。
私、泣いていました。
中2の春に曾祖母が亡くなった時に泣けなくて、しばらくして「幸生には心がない」といわれ、「わかってるわ!!」と本心で言い返して、本当に自分には愛がないと思っていた。
そんな私が会ったこともないシゲのおばあちゃんのためにボロボロ泣いている。
心のなかった私の心にイエスさまが来てくださって、この涙、シゲのおばあちゃんのためにイエスさまが泣いてくれているんだと思いました。
別に涙は心がある・ないの目印だとは思いませんが、私にとってはイエスさまが私の中で、本当に私を内側から変えてくださっている証だったと感謝しています。
神さまの愛によって、本当に私たちは変わるのです。

学校生活の様子

学校生活|中学校一覧へ

学校生活|高校一覧へ

学校生活一覧へ

礼拝の話一覧へ

中学・高校 学年の通信から一覧へ

クラブ活動一覧へ

▲ページトップへ