礼拝の話

2022/09/16 

9月14日(水) 聖書 マルコによる福音書 12章27節 理科 岡村

トリックアートとはだまし絵とも言われ、人の目の錯覚を利用して、立体に見えたり角度によってちがったモノに見えたりする不思議な絵のことです。

トリックアートを見ていると不思議な感覚になり、笑いを誘うから私は好きです。

人は、錯覚を楽しむ動物です。私たちはトリックアートによって、だまされていることを知っていて楽しむことができます。だまされること、だますことを許されている唯一のものかもしれません。

このだます、だまされるということは、普通の生活の中で実際におきたらどうでしょう。相手をだましたら、学校で相手をだますようなこと、相手に錯覚させるようなことをしたらどうでしょう。人間関係は、最悪です。壊れてしまいます。

実際、自ら相手をだまそうとする人、だまされようとする人もいません。でも、相手がまったくだますつもりがなくても、自分がだまされることがあります。そしてその結果、人間関係が崩れることがあります。

その原因の一つに思い込みがあります。人間関係では、思い込みや思い違いで相手を錯覚することがあります。自分が感じたことと実際は違うかもしれませんが、私たちは自分の思い込み、錯覚で相手を判断していることがあります。錯覚から思い込むことがあります。

自分の見たものが、正しく判断できていると思っているからです。そして、思い込みで物事を見てしまいます。思い込みで、この人はこんな人だと判断してしまいます。自分自身も、です。でもそれは、相手にとって不都合で、不幸せ、何もいいことはありません。

そしてなにより、自分にとっても不都合で、不幸せなことです。今日の聖書箇所を通して、イエスはできる限り思い違いをせず、思い込みで物事を判断しないためにもどうしたらいいのかと復活の出来事を通して教えてくれてます。

そしてイエスは、もっと謙虚になりなさい、謙虚に生きることの大切さを伝えています。私たちは、どうしても物事を0か100か、白か黒かどちらで決めてしまいがちです。ゼロトレランスです。ゼロトレランスとは、不寛容という意味です。つまり寛容でないということです。

私たちの世界は、ゼロトレランスで物事を判断します。正しいか、正しくないか、正解か不正解なのか。でもそのゼロトレランスな考え方が、周りを苦しめ自分自身を苦しめています。そして自分をダメにしてしまいます。

自分の見たこと、感じたことだけから判断するのでなく、もっと寛容な、そして謙虚な判断ができることが大切だと、聖書の言葉、そしてトリックアートを通して再度考えさせられました。

寛容な判断のできる私、そしてそんな学校生活を皆さんと一緒につくっていきたいと思います。

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