礼拝の話

2021/09/15 

9月15日(水)聖書 マタイによる福音書 11章28節 理科 寺田

中学3年生の理科ではエネルギーについて学びます。

エネルギーとは簡単に言うと物を動かす元になるもののことです。

エネルギーには何があるかということを授業で話し合っていると思いがけない言葉が出てきました。

それが「推し」もエネルギーになるという言葉です。

「推し」とはとても好きである、応援したい人やもののことです。

この「推し」のアイドルやキャラクター、俳優などがエネルギーになるということです。

この言葉を聞いたとき、私は「えっ」と思いました。

いくら「推し」がいたところでそれだけで何かを動かすことはできません。

でも、なるほどと思うようになりました。

食べ物を食べてそのエネルギーを使って身体を動かすようなエネルギーを「推し」によって増やすことはできませんが、「推し」は人を動かす何か別のエネルギーのようなものになるのではないかと考えました。

言うなれば心のエネルギーというものです。

例えば、疲れた時でも「推し」によって元気づけられるということがあります。

私はあるアニメのキャラクターが「推し」ですが、それ以外にも「推し」もあると考えられます。

それはオルガンです。

好きなことに没頭していると楽しい気持ちになり、いくらでも力が湧いてきます。

オルガンを10分練習したら終わりにしようと練習していても、あとちょっとできるようになりたいと思って集中していると20分、3分とあっという間に時間が過ぎてしまいます。

オルガンを弾くということが「推し」による私のエネルギーになっています。

人にはそれぞれその人だけの「推し」があります。

私の「推し」を他の誰かに押し付けたとしてもそれはその人の心のエネルギーになりません。

その人にはその人の「推し」があるからです。

しかし、私たちの誰でも「推し」にもなるものがあると聖書は教えてくれます。

聖書には疲れた者、重荷を負う者はだれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。とあります。

これはイエスさまが言った言葉です。

イエスさまはその人がもっているしんどさ、つらさ、悲しさというその人からエネルギーを奪うものから守ってくださいます。

ただ守ってくれるのではなく、つらい気持ちを一緒に背負ってくれます。

また、「推し」に元気づけられるように心のエネルギーをもらうことができます。

そんなイエスさまが私たち一人ひとりの最大の「推し」であると実感させてくれる時間があります。

それはこのチャペルでの礼拝です。

一人ひとりに「推し」となってもらうためにイエスさまは存在しているのだと言ってくださいます。

イエスさまを私の「推し」として今日1日を過ごしていきましょう。

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