礼拝の話

2020/09/18 

9月18日(金)聖書 マタイによる福音書 7章7~11節 理科 寺田

体育大会もいよいよ明日になりました。

私は運動が苦手なので体育大会が苦手です。

そこで清和がなぜ体育大会をするのか、そして自分が参加するのかを今日の聖書を通して考えてみます。

今日の聖書箇所には求めなさい。そうすれば、与えられる、私たちは求めていいと聖書は語っています。

体育大会を成功させたい、速く走りたい、体育大会を通して友達と仲良くなりたいと求める人がいます。

このように私たちが求めたいことはたくさんあります。

そうした私たちの求めに神様は答えてくださる、その求めに対して神様は良いものを必ず与えてくださるというのです。

ただし、与えられるものがその人が欲しがっているものとは限らないのです。

親は食べものを求める子どもに石や蛇を与えたいとは思いませんが、体に良いものだと思い込み悪いものを与えてしまうことがあります。

そこが親と神様で決定的に違うところです。

神様はその人にとって本当に良いものは何か知っているということです。

例えば、子どもが欲しがるからといってお菓子を好きなだけ与え続けたらどうなるでしょうか。

虫歯になったり、お腹を壊したり、更には生活習慣病になります。

このように良いものとは求めているものと違うことがあるのです。

清和は体育大会を大切な行事として取り組んできました。

それは清和が体育大会を神様が良いものとして与えて下さっていると信じているからです。

今は体育大会が良いものと思えなくても後から与えられて本当に良かったと気付くことがあるはずです。

体育大会に取り組むことでクラスの気持ちが1つになるかも知れません。

実際にやってみると思っていたほど悪く感じないかも知れません。

運動不足解消にもなるかも知れません。

体育大会に向けて取り組んでいる私たちに求められていることが1つあります。

それは祈ることです。

体育大会のために準備をしてくれている人がいます。

会場準備係がテントを立て、用具係が必要なものを用意してくれ、審判係や得点係は点数をつけるために必要なことをしてくれています。

貴重な昼休みや放課後の時間を使って準備や練習をしている人もいます。

その他様々な役割でそれぞれ取り組んでくれている人がいます。

この人たちは自分のためだけにやっているのではありません。

全員が気持ち良く体育大会に取り組めるように自分の時間とエネルギーを注いでいます。

そのように体育大会の準備に取り組んでいる一人ひとりのために祈ることを私たちは求められています。

祈ることは神様との対話です。

祈ることで自分の気持ちが整理できます。

そして、苦手なもの、悪いものと思っていたことが良いものであったと気付かされるのです。

祈りは1人より2人、2人より3人と多くの人で祈ることでより大きな祈りになります。

私は与えられた体育大会を私たちの祈りの力でぜひ迎えたいと思います。

体育大会のために働く一人ひとりのために共に祈りましょう。

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