礼拝の話

2020/09/29 

9月29日(火)聖書 創世記35章16~18節 校長 小西二巳夫

「今日の運動会は1本の映画を観ているようでした」。

先日の体育大会が終わったときのある保護者の言葉です。

この言葉の意味を考えてみたいと思います。

今年は新型コロナウイルスに感染しない、させないことが最優先事項でした。

3密を避ける、競技の実施方法を検討しなおす、さまざまな制約がありました。

このことを中心に考えるとだいたいつまらない体育大会になることが想像されます。

では、実際の清和の体育大会はどうだったでしょうか。

当日朝、13張のテントが立てられ、準備が整ったグラウンドを見た保護者が「大きな学校の運動会みたいですね」とおっしゃいました。

青組と黄組が分かれて入るテント、召集、得点などの各係のテントなど、小人数の学校とは思えないテントの多さからです。

3張の「2020年度高校卒業記念」と書かれたテントもありました。

卒業していないにも関わらず、熱中症対策のために前倒しでテントを寄贈してもらいました。

毎日の礼拝を大切にする清和は、体育大会も開会礼拝から始めます。

大切な時間だから、日陰で椅子に座って受けてもらいたいと考えたのです。

体育大会を清和らしくしようと考えテントを増やしたら、保護者には体育大会そのものが大きく見えたのです。

礼拝前の入場は学年ごとに入場している間、クラス担任が一人ひとりを紹介しました。

あれはクラス担任を中心に考えた、その人への祝福の言葉、祈りの言葉です。

清和の入場は保護者と教職員、仲間から、そして神の祝福を受けて登場するのがふさわしいと考えたのです。

それぞれの種目に真剣に取り組むみなさんの姿に全体が大いに盛り上がりました。

ただ清和の体育大会の醍醐味は他にもあります。

それは、それぞれの係になっている一人ひとりの有機的な動きです。

自分の出番でない時の裏方の仕事にしっかり取り組んでくれました。

小人数の学校ですから、運営のすべてをみなさんにもしてもらうわけです。

小人数の学校だからこそ、人は大きく成長できるのです。

当日のプログラムは順調に進み、予定時刻より早く全種目を終えることになり、閉会礼拝でも心静かに感謝の祈りをささげることができました。

そして、最後の大切なプログラムは翌週の授業がきちんとできるようにする原状復帰作業です。

今朝の聖書の箇所には、悲しい出来事が書かれています。

ラケルという女性が念願かなって男の子を出産しますが、旅の疲れから出産直後に亡くなります。

彼女は母親の顔さえしないままに生きることになる息子にベン・オニ(苦しみの子)と名付けました。

ところが父親のヤコブはベン・ヤミン(幸いの子)にするといったのです。

悲しみは悲しみに終わらないことを知っていたからです。

むしろ、そこに大きな喜びが生まれるということです。

その喜びは現実のものになっていきました。

清和はこの感染症問題という悲しみを前にして、体育大会をベン・オニではなく、ベン・ヤミンになると信じて考え取り組みました。

それに対するある保護者の感想が最初に紹介した「今日の運動会は1本の映画を観ているようでした」だったわけです。

「1本の映画を観ている」は生徒と教職員が自分たちの役割を主体的に果たしたのを見ることができた、楽しかった、嬉しかった、との感謝の言葉です。

清和にとって今年の体育大会は大変意味あるものになりました。

しっかり取り組んでくれたみなさんに心から感謝します。

ただ、体育大会を1本の映画としたら、まだ完全には完成していません。

よい映画にするためには細かい編集作業が残っています。

編集作業にあたるのは、これからの学校生活です。

「1本の映画を観ている」との言葉を励みにして、一人ひとりがそれぞれの映画の主人公として一日一日に取り組んでいきましょう。

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