礼拝の話

2022/09/06 

9月6日(火) 聖書 マタイによる福音書 6章25~26節 数学科 岡村

高知新聞の「今日の言葉」に女優の松下奈緒さんものがありました。

「嫌だな、やめたいなって何度も思って、でもそうやって思って続けてきました。」

彼女は女優、ピアニストとして活動していますが、つらいピアノの練習を続けるコツはあるのか?と聞かれたときの答えが先ほどの言葉です。

気持ちが折れそうになると、松下さんは否定的な感情を打ち消すことなく、素直に「嫌だな」と受け入れるそうです。

そうするとこれを辞めた後、自分はどうしたいのかと疑問が湧いてきて、そこから考えを深めていくと「やっぱり続けたいって思える」となる、ということでした。

物事を嫌でもやめられないという前提で考えていると、それ以上考えることができなくなってしまうことが多いと書かれていました。

やめたいのはやまやまだけど、やめるわけにはいかないことはいろいろありますが、そんな時に逆にいつ辞めてもいいや、と肩の力を抜いて考えることができると、答えが見つかったり、先に進めたりするということも書いていました。

今日の聖書箇所の中に「思い悩むな」という言葉がありますが、元来人は思い悩む存在であると思います。

私は小さい時から字が下手で、自分の字がとても嫌いでした。

私の仕事は教員なので、黒板やプリントに文字を書いて人に理解してもらうことが多い仕事です。

最初は教えること自体も難しかったですが、それ以上に人前で字を書くことがとても辛かったですが、ある時期から字に関して「とにかく読める字を書こう」「下手であることで委縮することは辞めよう」と決めました。

授業では「私は字が下手です。見えないときは小さくて見えないか、下手で見えないか遠慮なくいってください」といえるようになり、とても楽になりました。

礼拝でお話をすることも大変ですが、前の黒板を書くこともなかなかのプレッシャーです。

サラサラサラと書くことができる先生がとても羨ましいなぁと考えながら日々黒板を眺めていたある礼拝の時に、校長先生がある先生の書いた黒板を見ながら「この先生はチョークの面を上手に使って書いている!とても見やすい」ということを私に呟きました。

これだ!と思いました。

うまくは書けなくても、太く、大きくわかる字は書くことはできるので黒板に書くことに時間はかかりますがとても楽になりました。

なかなか自分のしんどいところを素直に認めるのは難しいです。

思い悩むことも大切です。

それ以上にいろいろなことを素直に受け入れることにできる人になりたいと思います。

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