清和女子中高等学校。創立113年の高知県の私立女子校。キリスト教主義の中高一貫校です。
2022/09/13
先日、夜に雷が鳴りひどく雨が吹き付けたことがありました。
時々部屋の電灯が瞬いて一瞬消えたりしたので、私は急いで家中の懐中電灯やろうそくを手元に集めました。
いつ電灯が消えても良いように移動するときは懐中電灯を持って移動しました。
結局その晩は停電することはありませんでしたが、もし停電していたらとても不自由で不安な夜を過ごさなければならなかったでしょう。
「光」は私たちにとってとても大切なものなのです。
聖書には明かりをともしたらテーブルの上に置いて周りを照らすのだと書かれています。
光は周囲を明るく照らします。
光の中では全てのものがよく見えます。
他の人の欠点も、この世の不正もはっきりと見えるでしょう。
同時に自分のダメなところもはっきり見えます。
「光である」とはこの2つのことから目をそむけることはできないということです。
この光は主イエス・キリストの光です。
私たちが「光」と呼ばれるとき、その光は自分で出すものではなく、イエス・キリストから、神さまから来る光の反射です。
私たちが何か偉いから、特別な能力があるから光だ、と言うことではありません。
私たちはイエスさまの光を反射しているのです。
神さまの光は全ての人に降り注ぎます。
この光で私たちは自分の弱いところも赦せない所もはっきりと見たうえで、それらのものとしっかり向き合うことが求められます。
そうやって自分の弱さや欠点と向き合う時、私たちは神様からの光を生き生きと反射して輝くことができます。
輝き方は人それぞれです。
それが個性だからです。
ここは神さまが愛して作られた世界だ、と歌いました。
私たちもその作られたものの一つです。
そして神さまの光を受けて一人ひとりが輝きます。
一人ひとりの輝き方は違います。
みんな同じ神さまの光を受けてもみんな違った輝きを放ちます。
他の人と比べる必要はありません、
私たち達が毎日色々なことを学んで成長していくとき、一人ひとりがそれぞれの輝き方を身につけていくのです。
今、世界は戦争の問題に心を痛めています。
まさかこの時代に大国といわれる国が武力でことを解決しようとするとは思いもしませんでした。
今日の讃美歌、1954年版ではThis is my Father’s worldが「ここも神のみ国なれば」と訳されていました。
神さまのみ旨を人間が全て見通すことはできませんし、
いつ、どこで、どんな風になるかも推し量ることはできませんが、必ず神さまがこの世界を慈しんで導いて下さると信じていくことはできます。
「ここも神のみ国なのだから」
「よこしまな力が一時強くなったように見えても、」
「やがて神のみ旨がなるときが来る」
まさにそのような思いをこめて、神の平和が訪れることを祈りたいと思います。
この世界に、そして私たち一人ひとりの間に。