清和女子中高等学校。創立113年の高知県の私立女子校。キリスト教主義の中高一貫校です。
2021/03/08
「津軽百年食堂」という青森県津軽地方の中心の町、弘前を舞台にした映画があります。
東日本大震災の翌月、2021年の4月に上映されました。
多くの犠牲者、不明者を出し、被災者が各地にあふれ、電気やガスといったライフラインの復旧の目途が立たない、何より福島の原発事故の深刻さが増していく、そういう時でした。
上映直前に起こった大震災のために話題にもならなかったこの作品が、そのことでかえって大切なことを教えてくれる映画になりました。
話の中心は、弘前市にある100年の歴史を持つ大森食堂、一番の売りは津軽蕎麦です。
物語は明治42年に初代大森食堂の賢治が自分の店を開くまで、もう1つは賢治のひ孫の陽一が店を継ぐ様子の2つが並行して進んでいきます。
明治と現代の2つの話を描く津軽百年食堂のテーマが何か考えてみました。
テーマは「受け継ぐ、引き継ぐ」と考えられます。
人には、その人だけに与えられた「受け継ぐもの」があるということです。
4代目にあたる陽一が「自分が店を継いでもいい」と言うと父からは店を継ぐ必要はないと断られます。
津軽蕎麦とその出汁を作るにはものすごく手間がかかります。
その手間を惜しんでは、おいしい津軽蕎麦は作れない、店を継ぐためにはそれを毎日やり続ける覚悟が必要だと父親は言いたかったのです。
父親の言葉に陽一は、一度は心が折れましたが、悩む中であることに気がつきました。
人には、その人だけに与えられた「受け継ぐもの」があるということです。
自分にとってそれが津軽蕎麦だと気がついたのです。
この映画を観ながら私も気がつかされたことがあります。
引き継ぐものには1人だけでなく、みんなで引き継ぐものもあるということです。
ここにいる人の多くは東日本大震災の直接の被害を受けていません。
大震災の直接の被害を受けたか受けなかったかは、あくまでも偶然のことです。
それでも、ここにいる全員があの日をそれぞれの場所体験したことは間違いないのです。
私たちには、被災した人たちの悲しみや痛み、深く傷ついた被災地を忘れてはならないという役割、使命があるのです。
10年たった今も避難生活を強いられている人たちがいます。
放射能汚染のために、生まれ育った家に戻れない人たちがいます。
その人たちと同じ時代に生まれ、同じ時代に生きているにも関わらず、東日本大震災とは関係なく生きるなら、本当の意味で自分の人生を生きている、その時代を生きているとは言えないのです。
もし東日本大震災と無関係に生きるなら、無関心に過ごすなら、本当に意味で生きる喜びを味わうことなく、幸福な人生を送れないということです。
さらに気づきたいのは、私たちが今こうして生きていられるのは、これまでの時代の痛みや悲しみを引き受け、受け継いでくれている人たちがいるからです。
その人たちの存在によって、私たちは今という時を生きることができているのです。
そこで、イエスは大勢の人たちを前に次のように言われたのです。
「柔和な人々は、幸いである。その人たちは地を受け継ぐ」。
イエスは自分が生きる場所や時代を、自分に幸せと豊かさをもたらしてくれるものにするためには、痛みや苦しみ、悲しみを抱えながら生きている人たちに、しっかりと心を寄せる人になることだと言われました。
その人たちに寄り添う姿勢を持つことだ、忘れないことだと言われたのです。
私はイエスのこの呼びかけに、素直に応えられる自分になりたいと思うのです。