礼拝の話

2024/02/02 

1月16日(火) 聖書 ローマの信徒への手紙 5章3~4節 音楽科 三浦

わたしには忘れられない大きな地震が3つあります。

阪神淡路大震災、岩手・宮城内陸地震、そして東日本大震災です。

2011年3月11日、午後2時46分。

中学校の卒業礼拝の準備のためにハンドベルの練習をしているときでした。

「震度7。マグニチュード9」という想像を絶する情報を前に立ちすくみ、家族に連絡をしても、つながるはずもありません。

やっとつながったメールも、停電で電池がなくなると連絡できなくなるからと、無事だということだけを伝えてきた弟。

母と連絡が取れたのは、翌朝の6時前でした。

大きな地震が起こる度に、自分が体験したものや、家族が被災した震災を思いだすのですが、この1月1日に起こった地震の全容はまだ解明されていません。

自然の力を前に、わたしたち人間の力は本当に無力であることを思い知らされます。

能登半島地震のニュースの1つで、とても印象に残っているものがあります。

それは、避難所で、子どもたちが「手書き新聞」を作っている、というものでした。

避難所生活のいろいろな情報が模造紙いっぱいに丁寧に書かれており、「今まででおいしかった炊き出しは」とか「今日のワンポイントストレッチ」など、大変な避難所生活の中でも、自分たちがよかったと思えることや、お互いの健康ために簡単にできることについても、書かれていました。

大変ななかで、一人ひとりが、今自分ができることを考えて過ごしているのだということを強く感じるニュースでもありました。

地震列島の日本で生きるわたしたちができることは、災害について、よく知ること、災害が起こる前に防げるものがどんなものかを知り、備えること、そして、起こってからそこに集まる人たちと力を合わせる、ということをしっかりと考えて生活する、ということでしょう。

今朝の聖書の箇所には、「わたしたちは知っているのです。苦難は忍耐を、忍耐は練達を、 練達は希望を生むということを」とあります。

今、震災の中で生活している方々は、本当に大変な中を生活しておられます。

そのような中で、「手書き新聞」のような身近で励まされる言葉に出会ったり、お互いに支え合ったりすることで、きっと生きる希望もわく日が来るのだと思います。

わたしたちも、その、いつか起こる、災害、震災に備え、その苦難に遭っても、希望を見出すことができる力を養っていく学校生活を送っていきましょう。

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