礼拝の話

2023/10/20 

10月11日(水) 聖書 ルカによる福音書 17章11~19節 日本キリスト教団 高知教会 松浦子基牧師

我が家は代々キリスト教を信仰しています。

キリスト教に最初に触れた母方の祖父の話をします。

祖父は太平洋戦争のさなかに、結核という病気を患いました。

祖父の住んでいた地域に大きな病院がなかったために、家の敷地内にある納屋で、祖父は家族と離れて治療を受けていました。

当時、結核という病気は、死の病と言われていて、完治する治療がまだ見つかっていませんでした。

祖父はそのことを知りながらも、結核と向き合って療養していました。

ある時、結核患者の間で読まれていた機関紙の中で、聖書の言葉が寄稿された文章を目にしました。

「イエスは言われた。私は復活であり、命である。私を信じる者は、死んでも生きる」というヨハネによる福音書11章25節の言葉を読んだのです。

今後自分の命がどうなってしまうのかが分からないという、悩みを抱えていた祖父にとって、死んでも生きるという聖書の言葉が響きました。

すぐに聖書を手にしたいと思った祖父は、母親に買ってくるように頼みましたが、太平洋戦争中であったために、敵国の宗教という事で、町の書店には聖書が置かれておらず手に入れることが出来ませんでした。

教会ならば、聖書があるだろうと思った母親は、隣町の教会に行き、一冊の聖書を借りてくることができました。

そのことがきっかけで、祖父は聖書を読み始め、教会の牧師と手紙のやり取りをしながら、キリスト教を信じることになりました。

今日読んだ聖書には、重い皮膚病を患った10人の人たちが登場します。

彼らは、その病気によって、社会から隔離されて、生活しなければいけませんでした。

そこには、重い皮膚病を患った人たちは、律法によって汚れている者として、社会から排除されていた背景があります。

イエスさまの「立ち上がって、行きなさい。」という言葉は、様々な困難を抱えている人々に、と新しい一歩を踏み出す力を与える言葉です。

私の祖父もこの聖書の言葉に支えられて、結核の治療を続けることが出来、数年後には結核の治療薬が完成し、祖父は以前のように農業の仕事をすることが出来るようになりました。

病気がきっかけで通う事になった教会で祖母と出会い、私の母が生まれました。

祖父や祖母は、共働きで、仕事に一生懸命でしたが、それ以上に、教会に行く生活を大切にして歩みました。

その姿を見ていた母もまた、キリスト教を信じ、教会の牧師となって、この私を生みました。

イエスさまの「立ち上がって。行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」という言葉は今も変わらず、この私を励ます言葉となっています。

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