礼拝の話

2023/10/20 

10月12日(木) 聖書 マルコによる福音書 12章41~44節 保健体育科 山﨑

秋と言えば、芸術の秋、食欲の秋、読書の秋といろいろありますが、私が一番に連想するのは、やはりスポーツの秋です。

今年は3月の野球のWBCに始まり、バレーボールや体操、水泳、ラグビー、高校野球などなど、世界大会と言われるものが本当に多かったように感じます。

毎年、その季節ごとにスポーツ観戦を楽しんできましたが、今年は今までとは少し違う感覚や視点で観戦することが多かったように思います。

単に勝ち負けということだけではなく、そのスポーツの試合に参加している、選手、監督・コーチ、そして審判や観客に至るまで、その場にいる「人」に対して注目し、興味・関心を持って観戦していることが多くありました。

それぞれの立場という視点でスポーツを見るようになったのは、様々な要因があると思うのですが、その1つに次のような話を聞いたことも大きかったのだと思います。

それは、『棚からぼたもち』ということわざに関してです。

このことわざは、通常は、思いがけない幸運に恵まれる、労せずして良いものを手に入れられるという意味で用いられることわざですが、ある人がこんな風に言いました。

『ぼたもちがいつ落ちてきても大丈夫なように、その下まで行って手を挙げたり口を開けたりしていない人は落ちてきても食べられない』のだと。

要はいつチャンスがくるか分からないから、いつでもそれをつかめるように、つまり自分の能力が最大限発揮できるように準備しておきなさいということなのです。

裏を返せば、準備をしておけば、いつかはチャンスがつかめるということを言っているのではと思います。

今日の聖書の箇所には、貧しいやもめが出てきます。

レプトン銅貨2枚とは、当時のお金で1日の賃金の64分の1だそうです。

ある程度の収入を得ている人からすると、わずかな額です。

でも収入がほとんどない人からすると、その日1日暮らすためのとても大切なお金です。

このお金の部分を、一人ひとりに与えられた能力、才能と考えるとどうでしょうか。

私たちに与えられた能力、才能は一人ひとり少しずつ違います。

人から見れば、たとえわずかだと思われるような能力だとしても、それを最大限フル活用して、やるだけのことをやっていれば、いつの間にか自分の思いが達成される、あるいはそれに近づけるのだと思います。

それぞれの立場でコツコツとやってきたことは決して無駄ではありません。

私たちに与えられた、能力や立場を最大限に活用することが、いつ、どこに落ちてくるか分からないぼたもちをキャッチできる一歩になるのではないでしょうか。

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