礼拝の話

2023/10/20 

10月13日(金) 聖書 コリントの信徒への手紙Ⅱ 12章9~10節 理科 寺田

私たちの身のまわりでとてもよく見かける植物に、雑草があります。

雑草は明確にどの種類の植物ということは決まってはいませんし、定義もあいまいだったりします。

あえて言うならば人間が必要としていないのにも関わらず生えてくる植物のことです。

しかし、それは人間の勝手な見方でしかないのです。

これを植物の世界で考えると雑草の見方が変わってきます。

普通、植物はものすごく長い時間をかけてその場所にだんだんと増えていきます。

長い時間をかけて大きくなった植物が樹木であり、それが集まった場所が森林です。

樹木はその大きさを生かして日の光をたくさん浴びることができます。

それによってより大きく成長することができる強い植物です。

自分の力だけで大きく成長できるのが樹木です。

それに対して、雑草は植物の中では生きられる時間が短い植物です。

そのため、人間の手によっていつ倒されるか分からない場所ですが、たくさんの日の光を浴びられる場所にあえて生きています。

雑草が道路やアスファルトの割れ目に生きているのは競争をしないためなのです。

このような場所で生きていくので、雑草はたくさんの子孫を残そうとします。

そのために、雑草同士がうまくタイミングをずらして芽を出すことで、年中生えることができます。

また、さまざまな場所に広がることで広く生えることができます。

このようにして、どれか1つでも生き残れるようにして、自分の仲間を増やすような方法を取っているのです。

たくさんの植物がいる森林の中で強い植物には生存競争という競争に自分自身の力だけで勝つ力がありますが、それに対し、雑草という弱い植物では一つひとつの雑草を見ると取るに足らないくらい弱い存在です。

しかし、弱さがあることで互いに助け合い、強く生きていくことができるのです。

私たちはつい相手より強くあろうとします。

テストで何位だったか、あの子より速く走れたか、相手より優位な点を見つけたり、増やそうとしたりして競争をします。

しかし、足りないところを補い合って成し遂げることができるのが弱さという名の本当の強さなのだと思います。

中学2年生はチャペルクリスマスに向けて「サイラス・マーナー」という劇の練習をしています。

この作品は人に裏切られ、人を信じられなくなったサイラスが主人公です。

人ではなく、金貨を大切にしていたサイラスが金貨を失ったことをきっかけに赤ちゃんを拾い、赤ちゃんと共に生きていくと決めたサイラスはだんだんと人を大切にする気持ちが芽生えてくるという物語です。

この作品を選んだのはサイラスの気持ちの変化がとても大切なことを教えてくれていると思ったからです。

人を信じられないサイラスが赤ちゃんという弱い存在に出会ったことで変えられていきました。

弱いことをそれだけで終わらせず、寄り添い、共に生きようとする大切さを劇を通して感じて欲しいと思っています。

実際に練習をしていると思うようにいかないことがありましたが、確認しながら、初めて最後まで通せた時には自然と拍手が起こりました。

この拍手には普段からクラスの誰でも困っていたら放っておけない中学2年生の優しさが表れているように感じました。

共に喜び共に悲しむ中学2年生に力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだという言葉が実現していることに気付かされました。

学校生活の様子

学校生活|中学校一覧へ

学校生活|高校一覧へ

学校生活一覧へ

礼拝の話一覧へ

中学・高校 学年の通信から一覧へ

クラブ活動一覧へ

▲ページトップへ