礼拝の話

2022/11/16 

11月10日(木) 聖書 民数記 21章8節 日本キリスト改革派 山田教会 高内信嗣牧師

妻とある飲食店に行ったとき「アマビエ」のイラストがメニュー表に記されていました。

コロナが始まった頃、「アマビエ」というのが流行っていました。

アマビエとはなんだか得体の知れない鳥のような魚のような妖怪です。

当時は、日本中が国を挙げて、商売と結び付けて、アマビエを利用していました。

調べてみると、江戸時代末期、今の熊本県の海にアマビエという妖怪が出てきて、「これから6年間豊作が続くが、同時に疫病が流行するから人々に私の絵を見せよ」と言って消え去っていったと書いてある古文書が残っていて、そこに書かれていた「アマビエ」の絵が、コロナが始まった時に使われたということのようです。

実は古文書には疫病が収まるとも、治るとも書かれていません。

ただ「疫病が流行るから私の絵を見せなさい」と書かれているだけです。

元々、治るとも書いていませんが、藁にもすがる思いで何かを頼りにしたいと思う気持ちが良く分かります。

今朝の聖書の箇所では、神さまを裏切り、逆らった人々がその罰として次々と蛇に噛まれてしまうというお話があります。

その時、神はリーダーであるモーセに「あなたは炎の蛇を造り、旗竿の先に掲げよ。蛇にかまれた者がそれを見上げれば、命を得る。」と言われました。

人々がその通りに行うと助かったのです。

アマビエの伝説のようなただ見せなさい、ではなく、はっきりとそれを見上げれば、「命を得る」と約束されています。

多くの人が蛇に噛まれ、大変な状況になっている中で、彼らは神により頼み、助けが与えられました。

私たちはこのチャペル礼拝で、今、神さまを礼拝し、この時間は神さまを一緒に見上げる時間、神さまに祈る時間とも言えるでしょうか。

私たちは生きている限り、病気にもなります。

また大きな災いが降りかかることがあります。

それでも私たちは、このチャペル、祈りの時間によって、より頼むことができるのです。

お祈りに限度はありません。

使用回数が決まっているわけでもありません。

私たちは何度でも、神により頼み、祈ることができます。

たちは毎日、祈ることができる、ということです。

そのことを覚えるならば、一日一日の学校生活に慰めと希望を持つことができるはずだと思います。

学校生活の様子

学校生活|中学校一覧へ

学校生活|高校一覧へ

学校生活一覧へ

礼拝の話一覧へ

中学・高校 学年の通信から一覧へ

クラブ活動一覧へ

▲ページトップへ