礼拝の話

2022/11/16 

11月9日(水) 聖書 マタイによる福音書 25章26~30節 英語科 畠中

今朝のタラントンのたとえの箇所を読んで、色々と思い出して考えるようになったことがあります。

まず、思い出したことは、このたとえ話が苦手だった以前の自分です。

タラントンは「生まれつきの才能」という意味の、英語のtalentの語源になっている言葉ですが、礼拝で神さまからいただいた才能を感謝して使いましょうと言われても、自分にはそれが何なのかさっぱりわかりませんでした。

憂鬱になる原因はまだありました。

それは、たとえ話に出てくる主人の言葉がとても厳しいことでした。

たとえ話のこの主人は神さまで、これは神さまの言葉だということになります。

まるで自分が神さまから激しく叱られているような気がして、きっと神さまはこんな怠け者の私が許せなくて嫌いなのだ、そう思ってとても悲しくなりました。

そんな以前の自分を思い出してみると、この聖書の箇所でイエスさまが伝えたかったことは本当のところは何なのかがわかっていないこと、そもそもそれを考えることを無意識に避けていたことに気付き、ここはひとつ、しっかりと向き合って考えてみようと思いました。

最初は以前と同じような考えが堂々巡りしていましたが、ある日、謎は突然解けました。

それは学園祭の時です。

その前の学園祭の準備の頃から、みなさんの様子を見ながら、何となく自分の中で、からまっている謎の糸が少しずつほぐれていくような感覚がありましたが、学園祭当日にはっきりと解りました。

何が解ったかと言うと、神さまが与えて下さったタラントンは私たちの持っているもの全てだということです。

学園祭の当日と、その前の、学園祭の準備の数日間、学園祭の成功のためにみんなが一生懸命、あれこれ考えたり、相談したり、見たり、聞いたり、手を動かしたり、笑ったり、困ったり、時にはがっかりしたり怒ったりしていました。

まさにそれら全てが、神さまから与えられたタラントンだと思いましたし、皆さんがそのタラントンをしっかり使い、そして増やしている、とも思いました。

タラントンを、特別な能力とかお金というものに限って考えていたことがそもそもの私の間違いの出発点でした。

神さまが私たちを愛して下さるのは、私たちの行いの良し悪しではなく私たちの存在そのものだということから考え始めさえすれば、答えは簡単に導きだせることでした。

タラントンをしっかり使えば絶対に増え、タラントンを地の中に埋めるということは、神さまが与えて下さったものを絶対に使わないということです。

神さまにとってこんなに悲しいことはありません。

そのことを忘れずに、神さまからいただいたタラントンを感謝して、今日もしっかりと使って過ごしたいと思います。

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