礼拝の話

2022/11/16 

11月14日(月)特別修養会「憲法に愛を読む」 聖書 イザヤ書 43章4節 宮 葉子先生

ある時、古い友人から「憲法には、あなたがふだん聖書から話してくれる『愛』があると思うんだよね」と言われ、憲法と神さまの愛がつながっているということの意味を知りたいと思い始めました。

憲法カフェという勉強会に参加し、自分でも調べるうちに、本当に聖書の教えている愛が日本国憲法の土台にはあると感じて、『憲法に愛を読む』という本を書くことにしました。

憲法というのは簡単に言うと、この日本という国のかたちです。

こういう国にしたい、それを実現するための土台を決めたものです。

その柱の一つとして、平和を大切にするという考え方を取り入れました。

天皇、総理大臣、公務員、裁判官など、私たちの暮らしを支えるために、国民に仕える役割の人たち、権力を持つ人たちが暴走しないように歯止めをかけるのが、憲法の大切な役割です。

権力に待ったと言えるように、日本国憲法は立憲主義という考え方で作られています。

日本国憲法がもっとも大切にしている価値観は、個人の尊重です。

一人ひとりがかけがえのない命であるということです。

個人の尊重を実現するために、日本国憲法では、平和を大切にする考え方を選びました。

日本の主役は、私たち国民です。

これも、個人の尊重を実現するための考え方です。

この個人の尊重をいちばん大切だとするところに、憲法に愛があると私は思います。

個人の命が何よりも大切ならば、日本もいつでも戦争ができる準備が必要だと思うかもしれませんが、日本が攻撃されたら、自分たちを守るために戦うことは、今の憲法でも認められています。

ただ、自分たちからは戦争を始めないし、そもそも、あなたたちが日本を攻めてくるという発想自体をしません、あなたたちを信頼していますと、世界に向かって宣言しています。

75年以上前、憲法9条に書かれた戦争の放棄を選んだ人の一人は言っています。

「日本人は頭がおかしいと思われるかもしれないが、誰かがこの理想を宣言しないと、いつまでも世界の戦争は終わらない」。

今なお続いているこの宣言は、日本の誇りではないでしょうか。

平和を作るのは、ひと言で言うならば、心を開いて相手を愛することではないでしょうか。

わたしは20代の時にある事件に遭い、その事件によって、人生が大きく変わりました。

トラウマ、いわゆるPTSDという精神的な後遺症に長く悩まされました。

その中で、聖書のことばと教会の人たちに出会い、洗礼を受けて、少しずつ心も回復し、新しくやり直すことにしました。

事件の後、どこにいても、いつも不安でいっぱいでした。

自分で自分を守らないとならないと考えていましたし、次は自分も身を守るためならば、相手を殺してしまうかもしれないという恐怖がありました。

でも、クリスチャンとなって、教会の人たちに愛されることで、少しずつ変化していきました。

多くの人に祈られ、共に過ごし、食事を共にし、その中で、大きな安心に包まれる感覚を持つようになりました。

神さまは見たことがないけれど、何か大きな存在が守ってくれるという安心感です。

聖書のことばが心に響いてくるうちに、少しずつ神に愛されていることを実感していきました。

洗礼から3年後、夫と出会って結婚し教会で暮らすようになりましたが、敷地にゴミを投げ入れられることもありました。

教会で暮らす私たちの方から、まちの人たちに近付いて、まちづくりに参加したり、知り合いになったり、音楽や子どものためのイベントをよく開いて、まちに役立つ場所になることを努めました。

その結果、まちの拠点の一つとして、受け入れられるようになりました。

自分を守ろうとすると、相手と壁を作ることになります。

国で言えば、守るためにたくさんの武器や最新のミサイルを作り、軍事費を増やしていかなければなりません。

相手も当然、同じことをします。

個人の尊重、あなたはあなたのままで尊い、神さまは私たちがどのようであろうと、愛して下さっています。

まず愛から始めることが大切です。

私たちが心を開けばいいだけです。

この愛をぜひ受け取ってください。

心に神の愛を満たして、周りの人にも心を開いてみてください。

10代に聖書のことばが身近にある環境の幸いを、これから大人になって気付くことがあると思います。

平和を作る人、ピースメーカーとして、あなたらしく良い人生を歩んでいってください。みなさんの祝福をお祈りしています。

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