礼拝の話

2022/11/17 

11月16日(水) 聖書 ローマの信徒への手紙 14章1~3節 社会科 山脇

今週の朝の礼拝は、人権ウィークという形でお話をさせていただきます。

今日11月16日は「国際寛容デー」です。

1995年に出された「寛容に関する原則の宣言」では、寛容と言う言葉を「寛容とは、世界の文化の豊かな多様性、表現方法、人間としてのあり方を尊重し、受け入れ、感謝することです。」と説明しています。

この宣言が出される前年の1994年、南アフリカの大統領に黒人初の大統領としてネルソン=マンデラ氏が就任しました。

南アフリカでは長い間、アパルトヘイトという政策がとられ、白人と有色人種は区別され、特に黒人に対する不当な差別が当たり前とされていましたが1950年代から反対運動が起こります。

同じ時期にアメリカでは黒人差別に対する抗議運動が盛り上がり、マーティン=ルーサー=キングなどが先頭に立ち、アメリカで始まった運動は公民権運動と呼ばれます。

南アフリカでは1970年代からアパルトヘイト廃止に向けた交渉が始まり、1989年には差別につながる法律が全て廃止となりました。

1995年という年に「寛容に関する原則の宣言」が出された背景には、このような大きな社会変化がありました。

多様性のことを英語で「ダイバーシティー」といいます。

多様性を尊重すること、受け入れること、何よりその違いに感謝することが「寛容さ」ということなのだと思います。

ただ、これを実現することがどれだけ難しいことかを、今年、私たちは、世界の人々は、ロシアのウクライナ侵攻を通して痛感しています。

ロシアの歴史を振り返ってみると、いかにロシアとウクライナが歴史的に、また文化的に近い存在だったのかが分かります。

それだけ近い存在、兄弟のような国同士でも戦争は起きています。

1950年に起きた朝鮮戦争も、同じ民族同士での戦争でした。

そう考えると多様性という言葉は、明らかに違うもの、たとえば見た目で分かる違いを認め合うということだけでなく、一人ひとりの考え方や思いをも受け入れ、認め合うということなのだと気づかされます。

今日の聖書箇所には、旧約聖書にある律法を忠実に守らなければならない、食べ物に関する細かい規則も絶対に守らなければいけないものだ、と信じている人々が出てきます。

使徒パウロは、そのような人々をも神が受け入れたのだから、自分たちと違うからと言って決して批判してはいけないと言いました。

それまでの規則を守りつつ、しかし、新たにイエスの教えに共感し、キリストを信じた人々は、どのような違いがあっても、それを批判してはいけないとパウロは言うのです。

なぜなら、そのような人々を、神が信仰へと導いたからです。

だから、お互いに違いを認め合い、裁くことがないようにしなさい、とパウロは言いました。

「寛容さ」というのは、口でいうほど簡単なことではないことが、今日の聖書からも分かるような気がします。

しかし、簡単ではないからこそ、「寛容さ」を心がけることで、お互いを尊重し、受け入れ、認め合うことができるのだと今日の聖書は言っているのではないでしょうか。

エフェソの信徒への手紙4章には、「一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。」とあります。

そのことで、私たちは平和のきずなで結ばれる、と聖書は言います。

一人ひとりの持つ権利をお互いに尊重し、受け入れ、認め合うことは、この「寛容さ」が根底にあるのだと、今日の国際寛容デーを機に、改めて思いました。

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