礼拝の話

2022/11/22 

11月18日(木) 聖書 創世記 2章6~7節 理科 寺田

私は今年度、情報の授業を担当しています。

コンピュータが上手く動かなくて扱いにくいという経験をした人も多いと思いますが、コンピュータはとても素直で、正しい操作をしていればどこまでも正しく動いてくれます。

正しい指示をしている限り、変な動きや勝手なことはしないのがコンピュータです。

コンピュータは計算機として作られ、だんだん、より高速に複雑な計算を処理するために使われていきました。

以前はコンピュータを初めとする技術のことを情報技術という言葉を略してITと呼んでいましたが、最近ではITよりも情報通信技術の略であるICTという言葉が使われるようになってきました。

通信という言葉で表されるICTのCはコミュニケーションのCです。

通信という言葉が追加されただけですが、ここにはコンピュータに求められる役割が増えたことが表れていると思います。

インターネットが発達し、無線で簡単に通信ができるようになったのが今のコンピュータです。

コンピュータに計算をすることだけではなく、離れていても人と人をつなぐ通信をするという役割が与えられたのです。

人と人をつなぐということは使い方によって便利に使うことができます。

しかし、残念ながらトラブルを引き起こすこともあるのです。

コンピュータはどこまでも指示した通りに動きます。

それが相手を嫌な気持ちにさせる言葉だったとしても引き止められることなく、そのままの言葉を一瞬にして相手に届けてしまうのです。

そして、離れていると相手の顔を見ることができず、思っていた以上に相手を傷つけてしまうこともあります。

これを人権として考えるならば、それぞれの人格を傷つけるということを平気でするということです。

ICTで使われているスマホは年々必要な場面が多くなっているように思います。

それは、人と人をつなぐのに便利な機能をたくさん備えているからです。

しかし、それが絶対ではありません。

コンピュータをはじめとするICTの機器は人間のつくりだしたものです。

そして、その人間は不完全な生き物なのです。

不完全な生き物がつくりだしたものはどこまでいっても不完全です。

これらのことを聖書は次のように表現しています。

「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」。

塵には、大したことがないこと、値打ちがないことを表しています。

そこに命の息を吹き入れられたことで、私たち人間に愛が入ってきたのです。

聖書は私たちにそれをしっかり自覚することを求めているのです。

愛するということは相手のことを大切にするということですが、コンピュータにはこの愛するということができません。

コンピュータがこれからますます進化していくこと自体は便利になって喜ばしいことです。

しかし、人間がつくったコンピュータには本質として持てないものがあります。

それが愛するということです。

愛を持ってスマホなどのICT機器を使うと、少し向き合い方が変わってくるのではないでしょうか。

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