礼拝の話

2022/11/04 

11月2日(水) 聖書 マルコによる福音書 12章13~174節 英語科 楢本

私の父は昨年12月に91歳でなくなりましたが、長い間牧師をしていました。

教会というところには色々な人が電話をかけてきます。

ある時期、一人の女性から何度か電話があったそうです。

名前もどんな人なのかもわかりませんが、その人はいつも「元気の出る聖書の言葉を読んで下さい」と言って、電話をかけてきて、父が電話口でいくつかの聖書の言葉を読むと、それを聞いて安心したように電話を切ったそうです。

そうです、「元気の出る聖書」です。

聖書は元気の出る言葉です。

毎朝のチャペルで読まれる聖書は元気の出る言葉です。

その言葉が皆さんの今日一日を支えてくれます。

今日のメッセージはどうでしょうか、皆さんの心に引っかかってくれればうれしいです。

今お読みした聖書の箇所はイエスさまを陥れようとする人々が意地悪な問題を出したのに対して、イエスさまが上手に答えた、という話が書かれています。

「ローマの皇帝に税金を納めるのは正しいことか」との質問に、イエスさまは皇帝のものは皇帝に返しなさい、と答えました。

ここで問題です。

「皇帝のもの」は分かりましたが、「神のもの」とは一体なんでしょうか。

創世記1章27節にはこう書いてあります。

「神はご自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。」

私たちは「神にかたどって創造されたもの」だと言うのです。

これが「神のもの」ということではないでしょうか。

「神の形に創造されたもの」とは「神さまの心がわかる者」ということです。

つまり神さまの御心がわかる者ということです。

だからそんな私たちは神さまから与えられた使命を持つ存在です。

それはひとりひとりの存在に意味がある、ということです。

私たち一人一人に神さまからふさわしい役割が与えられているからです。

存在意味のない人は一人もいません。

自分自身がどんなに不十分に思えることがあっても、どんなに落ち込むことがあっても、私たちは神の形に作られたもの、そして神さまから使命が与えられている尊い存在だと言うことを忘れてはなりません。

だから私たちは「自分を大切に」しなければならないし、同じように他の人も大切にすることができるのです。

そして私たちに与えられた課題と一つ一つ真剣に取り組んで行くこともできるのです。

中高生の時代は修行の時代です。

何が、どこで役に立つのかは今はわかりません。

今は色々なことを学んで自分の中に取り入れる時だからです。

学校生活のあらゆることが、勉強も、友だち関係も、皆大切な学びの体験です。

皇帝の肖像を描いたデナリオン銀貨が力を持っているように、私たちの手には神さまマークの金貨があります。

一人ひとりがその力を使ってなすべきことがきっとある、それはきっと見つかる、と思います。

今日の学校生活に神さまの祝福を祈ります。

学校生活の様子

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