礼拝の話

2021/11/29 

11月25日(木)聖書 ローマの信徒への手紙 15章7節 英語科 中山

私は、大学生の時に脳性麻痺によって全身に障害のある方と出会いました。

自分では何をすることもできませんでした。

話している言葉が聞き取れず、最初はどのように接すればよいかわかりませんでしたが、少しずつ言っていることが分かるようになりました。

気が付けば彼女は、障害を持っている人ではなく、ふつうの友人の一人になっていました。

彼女との出会いは、私の、障がいを持っている人に対する概念を変えるものとなりました。

私たちは、みんな異なった考え方、個性、好み、容姿、特性を持っています。

身体的な障がいのある人が、障がいのない人と違っているということで偏見を受けることがあります。

それが間違っているように、自分と違った考え方、個性、好み、容姿、特性を持っている人をおかしいと思い、その人たちに不親切に接するなら、それは人権侵害という間違った考え方なのです。

人の考え方、その人の持っている個性や好み、容姿は色々ですが、そのようなことはその人の価値には何の関係もないのです。

聖書の神さまは、人間の理解を超えた能力のあるかたです。

その神さまが、私たち一人ひとりのことをかけがえのない大切な存在だと思っていることが何度も聖書に書かれています。

私たちは、自分がそれほど大切な存在だとは思えない時があるのではないでしょうか。

でも、私たち一人ひとりもかけがえのない大切な存在なのです。

あるテレビで手に障がいをもった女の子が、その障がいを幼稚園児が思ったままを口にした言葉で傷つき、お母さんのところで声を出して何度も泣きました。

幼くても何気ない言葉でも相手を傷つけるのです。

私たちは、自分の言う心ない言葉が相手を傷つけるということ、そして、それを聞く相手がどのように感じるか判断できる年齢です。

校舎のいたるところに貼られている人権標語を読んでみてください。

一人ひとりの思いが伝わってきます。

相手のことを思う言葉、思いやりのある行いを取りたいものだと思います。

自分を大切にし、自分の周りにいる人も大切にする人は、幸せな人だと思うのです。

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