礼拝の話

2021/12/16 

12月14日(火)聖書 ペトロの手紙Ⅰ 1章22~25節 日本基督教団 土佐教会 高橋伸明伝道師

「うまれるまえから」という賛美歌があります。

私はこの歌の出だしの、「生まれる前から神さまに、守られてきた」という言葉が大好きです。

人はいつかこの世に生まれ、この世を生き、そして、いつか必ずこの世を去って行きます。

きちんと記録に残しておけば、赤ん坊時代や幼稚園の時などの写真、小学校の時、今ここにいるみんなの中学校時代や高校時代のアルバム、そして将来の写真、それらを長い人生を終える頃に並べてみることができるかも知れません。

並べてみて、とても同一人物だとは思えないくらい変化しているように見えますが、確かに同一人物です。

人間は歳をとって変化したり、現れたり、いなくなったりするけれども、きちんと保存された情報は、変わらないともいえるでしょう。

人間の歴史の中で、最も長く変わらずに伝えられてきた情報メディアと言えば、それはもうなんと言っても、今朝もこうして礼拝で読んだ『聖書』です。

聖書は、今から500年ほど前にこういう印刷本になる前は、教会や修道院のお坊さんが、一文字一文字手で書き写して、次の世代へと伝えてゆきました。

2000年前のイエス・キリスト自身も、自分よりさらに1000年以上さかのぼったヘブライ語聖書(旧約聖書)の言葉を引用して話をしていました。

聖書という本は「はるか昔から、変わらないで伝えられてきた情報なのだ」と言う感覚で、みんなで読んで、書き写して、伝えてきたわけです。

この聖書の情報の保存度の高さから見たら、人間の一生なんて、すごくちっぽけで、すごく短いと思わされます。

この聖書に触れる度に、昔から人々は「『永遠』って、こんな感じかなぁ」と思い浮かべることができたのです。

人は変わり、いつかは消えてゆくけれども、ここに「変わらないもの」があるのだということを感じることができます。

写真などで自分の成長や人生を振り返ることができるように、神さまはどんな風に自分のことを見てくれているか、考えてみましょう。

どんなに自分の外見、中身が変わっていっても、神さまは変わらない目で自分を見守ってくれているわけです。

中高時代を過ごしているみなさんは、いずれ新しい道を歩んでゆくことになります。

これまで自分が変わってきたように、これからも自分は変わっていきます。

自分がどんなに変わっていっても、変わらない目が自分を見守ってくれます。

変わらない手が、自分を導いてくれます。

「自分が生まれる前から変わらない愛が、自分を守ってくれているのだ」ということを信じて、勇気を持ってこれからも学校生活を、そして人生を歩んでいってくれたら嬉しいな、と思います。

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