礼拝の話

2023/02/15 

2月13日(月) 聖書 ローマの信徒への手紙 12章1~2節 校長 小西二巳夫

今月6日の夜中の3時頃、中東アジアトルコの南東部地方で地震が発生しました。

今朝発表された死者の数は、隣の国シリアも含めると33,000人を超えています。地震によって、多くの人が家族を失いました。

そして多くの建物が壊れたことによって多くの人が生活する場所、家を失い、「帰る場所」を失った人がたくさんいるのです。多くの人がこれから避難生活をしなければなりません。

こうした大災害が起きた時に、多くの人が持つようになる感情があります。それは「神がいるなら、なぜこんなことが起きるのか」です。そして「自分たちは神に見捨てられた、神などいない」といった思いです。

大災害で家族を失い、家を失った人が絶望することは、生きる意味を失い、生きる気力がなくなることにより死につながること多いのです。そうした心境に陥っている人たちに必要なのは小さな希望を持つことです。

小さな希望とは、自分が愛されている大切にされていると思えるようになることです。そこで気づかされるのが、高知に住み、清和という学校に所属している私たちにも、今果たさなければならない役割やできることがあるということにです。それを具体的に考える学校であり一人ひとりでありたいものです。被災した人たちに一番取り戻してほしいものは神との関係です。

はじめに言いましたが、災害を受けた人が陥る心境に「神がいるなら、なぜこんなことが起きるのか」「自分神に見捨てられた」があります。それは信仰を持っている人だけではなく、ふだん、自分は神の存在など信じない、自分は無信仰だと言っている人も、そうした心境になるのです。そして、それが生きる気力を奪う一番大きな力だと言いました。そうすると、私たちが願うことは、そうした人たちがもう一度神との関係を取り戻すことです。「神との関係を取り戻す」を別の言葉にすれば「帰る場所」があるということです。そして神と対話ができるようになることです。

神との対話、それは沈黙の中で行うものです。心の中で神に話しかけ、そして聴こえてくる声に耳を傾けることです。今自分が何をすればいいのか、何に気づけばいいのか、何を改めればいいのか、それらは沈黙の中での神との対話、やり取りを通して与えられます。そこでさらに気づきたいのは、清和には神との対話する時が与えられていることです。

毎朝の礼拝のために生徒と教職員がここに集まります。

チャペルに集まるのは、一人になるためです。孤独な瞬間を作るためです。清和が毎朝チャペルに集まるのは、沈黙の中で神と対話するためです。礼拝において声を出すのは、神との対話の1つである賛美歌を歌う時、そして、お祈りの最後のアーメンに声を出す時だけです。

トルコ南部の地震に神の心がさまざまな形で働くよう祈ります。

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