礼拝の話

2023/02/28 

2月21日(火) 聖書 コリントの信徒への手紙Ⅱ 4章16節 社会科 山脇

この時期は入学試験や卒業、さらに最後の定期試験といった、まさに学年の区切りの時、節目の時となりました。

そのような区切りの時、節目の時を、私たちは大切にしています。

大晦日から元日にかけての新年を迎える時、節分、桃の節句、端午の節句、七夕、お盆、七五三というように、日本は季節の変わり目や子どもの成長に合わせた節句を大切にしています。

そのような節句を大切にしてきたのは、厄除けや悪霊を追い払うという風習に加え、そのような節句で区切りをつける、気持ちを新たにするという意識が大昔からあったからではないかと想像します。

そのような区切り、節目の時は私たちの心も新たにされる時でもあります。

一年を振り返って自分の反省点を見つめる時もあるでしょう。

一年の歩みに感謝する時もあるでしょう。

新たな歩みに向かって期待と不安を感じる時もあるかもしれません。

複雑な感情を抱くこともある区切りの時、節目の時は、私たちが生活をするうえで、やはり欠かせないものだと思います。

キリスト教もよく考えてみると、クリスマス、イースター、ペンテコステ、宗教改革記念日など、いくつもの節目があることに気づきます。

日本を含めた東アジアには細かい節目、節句が見られますが、キリスト教にもこのような大切な日があるのです。

何より、聖書には私たちが日々新たにされていることが記されています。

今日読んだ箇所には『わたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされています』とありました。

私たちは嫌でも歳をとりますから、外なる人、つまり肉体は若い時と比べて衰えていきます。

肉体的な成長はいつまでも右肩上がりで向上していくわけではありません。

いつか、その成長は止まり、体力を維持することに専念しなければならなくなります。

この手紙を書いたパウロも、年齢的、肉体的な衰えを感じていたのかもしれません。

『わたしたちの「内なる人」は日々新たにされています』とパウロが書いたのは、肉体的な衰えがあったとしても、心は常に神によって新たにされていると、パウロ自身が確信を持っていたからです。

心が日々新たにされるということは、精神的に衰えない、いつも瑞々しい気持ちでいられるということでもあります。

そのような確信に基づいて、パウロは困難な状況のなか、生涯を通してキリストの教えを伝えました。

そのように考えると、キリスト教における区切り、節目はとてつもなく多いのかもしれないということに気づきました。

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