礼拝の話

2022/02/24 

2月22日(火)聖書 コリントの信徒への手紙Ⅱ 12章9~10節 英語科 ローエン

私は幼い頃、他の人が自分をどう思っているか、とても気にしていました。

他の人が自分を見た時にどんな風に見えるのか悩みました。

本当に正直に言えば、大人になっても時々そのことで苦しむことがあります。

私はまたクリスチャンであることにも悩みました。

もし私が完璧なクリスチャンでなかったら、人々が私を厳しく裁くだろうと考えました。

私は高校生時代にキャロル・ウィマーの「私が『私はクリスチャンです』と言う時」という詩を読みました。

それはこんな詩です。

私が「自分はクリスチャンです」と言う時、「私は救われた!」なんて叫んだりしません。

私はささやきます。「私は時々迷子になります、だからこの道を選んだのです。」と

私が「自分はクリスチャンです」と言う時、私は人間のプライドで話したりしません。

私は神を人生のガイドとして必要としているとよろめきながら告白しているのです。

私が「自分はクリスチャンです」と言う時、私は強くなろうとはしていません。

私は自分が弱いと公言し、強さが続くように求めて祈っているのです。

私が「自分はクリスチャンです」と言う時、自分の成功を自慢しているのではありません。

私は自分が失敗し負債を支払うこともできないと認めているのです。

私が「自分はクリスチャンです」と言う時、自分が全てをわかっているとは思いません。

私は自分の混乱に服従しています。答えが与えられることを謙虚に求めているからです。

私が「自分はクリスチャンです」と言う時、完璧だと言っているのではありません。

私の欠点はあまりにもはっきり見えますが、神は私には価値があると信じて下さいます。

私が「自分はクリスチャンです」と言う時、私はまだとげの痛みを感じています。

私は心の痛みを持っています。それが神の名を求める理由なのです。

私が「自分はクリスチャンです」と言う時、私は裁くことを欲してはいません。

愛されていることを自分だけが知っているなどと言う権利はないから。

この詩を読んだ時、私はたとえ自分が完璧でない時でも、神さまは完全であることを思い出しました。

私が弱い時に神さまの中に強さを見出すことができるのです。

時には人生の荒波にもまれて自分が落ち込んでいるのに気がつくこともあるかもしれません。

そのような時に私たちが神さまの方を向けば、神さまは私たちに必要な恵みと力をくださって、私たちは前に進むことが出来るのです。

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