礼拝の話

2022/02/28 

2月25日(金)聖書 マタイによる福音書 5章13~16節 日本基督教団 土佐教会 高橋伸明伝道師

今朝は「地の塩、世の光」という言葉で有名な聖書の箇所を読んでいただきました。

「地の塩」という文字通りに訳されている言葉は「岩塩」のことです。

岩塩というのは、塩が混じった岩石、あるいは岩の中に大きな塩の固まりとして埋まっている場合もあります。

日本では海の水から塩を取りますが、砂漠の地方では岩塩を砕いて使います。

塩というのは様々な使い方をします。

例えば、お料理の味付けに使うのは常識ですが、他にも殺菌効果や保存料としての働きもあります。

塩の浄めの効果は宗教的な領域にも及んでいて、最近はあまりそういうことはしなくなったようですが、ちょっと昔まではお葬式に参列した人には、まるでインスタントラーメンの七味の袋のような小さな袋に入った塩が配られていました。

その袋の塩を、自分の家に入る前にパッパッと自分に振りかけて、死者に近づいたために自分の身についた「穢れ」を浄めます。

相撲取りが取り組みの前に土俵に塩を撒くのも、同じように宗教的と言いますか、儀式的な浄めの効果を想定しています。

次に「世の光」ですが、この聖書の箇所ではロウソクの譬えが多く語られていて、しかもロウソクをつけて升の下に置く人はいませんよ、燭台に取り付けて、テーブルの上に置くでしょう、そうすれば部屋全体が明るくなりますね、と言っています。

ロウソクに火をつけても、何かの器をその上にかぶせて光を封じてしまうというのは、実際の状況ではあまり考えられませんが、要するに「せっかく光り輝いているのに、それを活かさずに封じ込めてしまう」ということで、自分の力を有効に生かさない人のことを譬えています。

あなたの持っている光を見える場所で輝かせて、周囲の人がその光の恩恵を受けるようにしなさい、と言っているわけです。

つまり、あなたの持っている能力は、「地の塩」のように、世の中で様々な形や方法で役に立てることができるはず、自分のためだけに使ってしまうのはもったいない、むしろオープンにしてあらゆる人に恩恵を与えるために用いなさい、ということです。

そういう意味で、皆さんが「地の塩、世の光」として自分の力を誰かに役立ててもらうために、その力を養うところ、それが清和ではないかと思います。

どうか皆さんが、この清和という場で、「地の塩、世の光」となるべき力を身につけてくださることを願って止みません。

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