礼拝の話

2022/02/16 

2月7日(月)聖書 マタイによる福音書 28章18~20節 校長 小西二巳夫

サンティアゴ・デ・コンポステーラ、サンティアゴへの巡礼の旅をテーマにした映画があります。

巡礼で多くの人が歩くのが「フランスの道」という800kmの道です。

1日に20~30km歩いて、40日くらいかけてサンティアゴに到着します。

泊まるのはアルベルゲと呼ばれる巡礼者のための宿です。

アメリカに住む眼科医トムにスペインの警察から連絡がありました。

長い間あっていない息子のダニエルが、サンティアゴ巡礼に出発してすぐに亡くなったという知らせでした。

トムは息子の遺品を整理しながら、息子は何を考えて生きていたのか、なぜサンティアゴ巡礼の道を歩こうとしたのかを考え、息子の代わりに巡礼の道を歩き、息子の遺灰を巡礼の道に少しずつ埋め、旅の終わりに海にまくことにしました。

そうすることで、疎遠だった息子を理解してやれるかもしれない、寄り添ってやれるかもしれないと考えたのです。

サンティアゴ巡礼は泊まったアルベルゲごとに、歩いたというハンコをもらい、目的地にサンティアゴに着くと、歩いたという証明書をもらいます。

巡礼者それぞれに目的や思いは違いますが、トムは巡礼の道を歩くのは自分のためではなく息子のためだと考えていました。

ですから、自分は他の人とは違う、という雰囲気を出していましたが、長い距離を歩き続けるためにはいろいろな人の世話になります。

お互い助け合わなければ歩き続けることはできませんし、同じ方向に進んでいるので、否が応でも顔見知りができます。

歩き続けている中でトムがわかってきたことがあります。

それは、サンティアゴ巡礼の道を歩く人はそれぞれ悩み、悲しみ、心の痛みを持っているということでした。

一緒に歩くことでトムは、自分はひとりではない、一緒に歩く仲間がいることに喜びを感じるようになります。

目的地サンティアゴに到着し、歩き通した証明書をもらう時のことです。

それぞれ自分の名前を言って、それを書いてもらいますが、トムは別の名前に書き換えてほしいと頼みます。

係の人から、それはできないと断られますが、一緒に歩いた人たちは誰の名前に書き換えてほしいか分かり、係の人に掛け合ってくれました。

書き換えてほしかった名前は息子ダニエルの名前でした。

こうして、トムの巡礼の旅は終わりました。

そして、大切なことに気づいたのです。

トムは息子のためにサンティアゴ巡礼の道を歩いたつもりでしたが、それは全くの逆、思い違いでした。

800kmを歩き通すことができたのは、様々な人と出会うことができたのは、息子がトムに寄り添ってくれたからだとわかったのです。

一緒に歩いた人たちの悲しみや痛みを知ることで、トムは自分の悲しみと痛みが癒されました。

つまり、息子がその機会を作ってくれたことに気づいたのです。

息子に寄り添おうとした自分に、逆にダニエルが寄り添ってくれたことに気づかされたのです。

復活のイエスは、新しい場所に出かけていく弟子たちに、私は必ずあなたのそばにいると、これからの道を励まされました。

キリスト教は人生を旅だと考えます。

基督教の学校である清和は、3年6年の学校生活もまた旅として考えます。

その旅を通して、イエス・キリストはご自分が一緒に歩いてくれることを、実感できるようになることを願っているのです。

それでは今週もまた、新たな気持ちで学校生活という旅を続けましょう。

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