礼拝の話

2022/02/16 

2月9日(水)高校3年生

高校3年生が卒業を前に全校生徒に向けての最後の礼拝メッセージを行ってくれました。

2人の方のお話をご紹介します。

 

初めて清和のチャペルに入ったのは、中学3年生の時にチャペルクリスマスを観に行った時です。

チャペル自体入ったのも、その時が初めてでした。

第1印象は、外観も内装も「赤い」でした。

入学者登校日では、ステンドグラスの存在に気がつきました。

太陽の光に照らされるステンドグラスは、ついつい見てしまいます。

そして入学礼拝。

初めての礼拝は戸惑いました。

初めて聞く讃美歌と聖書、美しいパイプオルガンの音色、校長先生の説教、お祈り。

「これがキリスト教なんだ」、と実感しました。

それから、毎朝の礼拝。

讃美歌を歌い、聖書を読み、先生方の話を聞き、最後にお祈り。

毎朝同じことの繰り返しだけど、歌う曲も読む箇所も先生方の話も、毎日違う。

毎日新しい発見があります。

先生方の話は、ためになるような話ばかりで、大体はちゃんと聞いています。

これは、他の高校では体験できなかったことです。

もし他の高校に通っていたら、「日曜日の礼拝に行こう」とは思わなかったでしょう。

というか、キリスト教について、強く意識しなかったでしょう。

清和に入学したことで、礼拝やキリスト教に濃く触れることができました。

キリスト教に対する偏見もなくなり、間違った認識を正すことができました。

清和でしかできない貴重な体験は、今後の生活できっと役立つでしょう。清和に入学して良かったと思っています。

 

私は15年間「宗教」というものに、一度も関わったことがありませんでした。

朝の礼拝にも馴れてきた頃、当時の担任の先生が「家であった嫌なことやモヤモヤ、昨日あった辛かったことは全部、朝このチャペルに置いていってください。朝、新しい自分に入れ替え、チャペルを出たあとはスッキリとした心と身体で、一日を始めてください。もしその日、また嫌なことや辛いことがあっても、次の日の朝、一日悩んだあとチャペルに置いていってください。辛いことを思い出すのは、朝のこの時間だけで十分です。」といったお話をしてくださいました。

何らかの自分の感情を〝置いていく〟という考えをしたことがなかったので、「置いていくって何だ?」と思いました。

しかしその日一日、「嫌なことはチャペルに置いてきたし」と少しこじつけのようですが、そう考えることで、いつもより身軽に過ごすことができたように感じました。

その他にも、普段関わりの少ない先生や牧師さんのお話を聴くことで、印象と違った一面があることに驚いたり、素敵な言い回しをされる先生のお話になると、聴くことに集中しすぎて、ダイアリーを取ることを忘れたりと、何だかんだ言いながらも、有意義な時間を過ごしていたように思います。

そして何より、先生であろうと一人の人間で、大変な道を歩んで、乗り越えて、時に失敗もして、今私たちの前に立っている、そう考えると、私もたくさん悩んで、苦しんで、失敗をしてもいいんだ、ちゃんと大人になれるんだ、と思うことができました。

普段大人の失敗話や恥ずかしくなるような昔の話を聴く機会など、中々ありません。

先生と生徒という関係であると尚更です。

そんな中、素直に話をしてくださる先生がいるからこそ、チャペルという空間で、生徒も素直な気持ちで自分に向き合う時間をつくることができるのだろうな、と改めて考えました。

清和のチャペルには、私が置いていったたくさんの想いがあります。

ほとんどもう、思い出せないような、ちっぽけなものばかりです。

私が進学する大学は、キリスト教学校ではないので、今度はチャペルから始まらない学校が日常になります。

周りの体調が良くない時や、どうしても達成したいことがあった時、勝手に神頼みをしていたことすら、なつかしくなるのかな、と考えると、少し寂しくなりそうです。

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