礼拝の話

2021/03/15 

3月12日(金)聖書 マタイによる福音書 22章39節 数学科 岡村

中学の卒業礼拝が近づいています。

私も小中高大と卒業を経験してきましたが、一番印象に残っているのは大学の卒業です。

4年間の大学生活のカウントダウンが始まった頃は「名残惜しい」の一言につきました。

しかし、大学入学の前後当たりの私は、失望と暗い気持ちでいっぱいでした。

それは、その学校が第一希望ではなく、滑り止めの学校だったからです。

高校時代、それほどまじめに勉強もしませんでしたが、第一希望の大学に落ちたショックだけは大きく、大学に行く意欲も徐々に失っていきました。

1年予備校に通ってみようかと思って、親に聞こえるようにつぶやいたりもしていました。

小さい頃から、母はいつも私の見方で、困った時によく私を助けてくれました。

その母がそんな私にいつになく毅然とした口調で言いました。

「あんた、将来どうしたいが?」

私は即座に「学校の先生になる」と答えました。

母は「学校の先生になるには一流大学を卒業しないとなれないの?」と聞きました。

私は「よくわからないけど、教員免許をとって、教員採用試験に合格すればなれると思う。学校とかはかんけいないはずやけど」と答えました。

そうすると母はいつもの優しい表情になって「なら、ぐずぐず言わずにその学校で勉強頑張って教員免許取って採用試験も一発で通ったらえいだけやん」と。

その言葉で、私の心は決まりました。

母は父に、「あの性格やったら1年間の浪人期間にもっといかんなる。今大学に行くのが一番えいはず」と言っていたそうです。

それから間もなく、母は亡くなりました。

今、私はそれぞれが家庭を持つ2人の子どもの父です。

親となって、あの時の母の気持ちが痛いほどわかりました。

子どもや家族のためにすることで、自分にも生きる活力が生まれ、充実した時間を過ごせると思います。

人を応援することによって、自分にも勇気が与えられる。

人を助けることによって、自分にもエネルギーをもらえる。

今日の聖書箇所には、そのような意味があると私は感じました。

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