礼拝の話

2022/03/14 

3月10日(木)聖書 マタイによる福音書 5章9節 日本基督教団 土佐教会 高橋伸明伝道師

今、東欧のウクライナは隣国ロシア軍の侵攻を受け、戦闘状態となり、多くの尊い人命が奪われ続けています。

「戦争」は、非日常・非常事態のこと、普通じゃなくなる日のことです。

自由が普通じゃなくなる日、自由じゃなくなるというのは、つまり自由に笑ったり、話したりすることもできない。自由に遊ぶこともできない。

それだけではなく、誰かの強制的な命令でどこかに行かなければならなくなったり、誰かの命令で何かを強制的にやらなければならなくなったりする状態です。

日本は77年前には学校の先生が、生徒に「あなたたちは自由ではない」と言う時代でした。

国の命令で強制的に戦場に連れて行かれ、国の命令で命を捨てることを要求され、死ぬことが美しい生き方なのだと言われていた時代でした。

それを教師も本気で生徒に教えましたし、生徒も「国のために死ぬことが正しいことなんだ」と自分で思い込むようにしていました。

それ以外の生き方が認められない時代だったからです。

まだ今の段階では「日本は、戦争はしません」と決めた憲法の第9条があるから、本当に日本が単独で戦争をする、ということはできないことになっています。

もしも、日本に「問題が起こった時には、戦いで物事を解決すればいいんだ」と考える人が多くなって行ったら、簡単に多数決で戦争が決まってしまうと思います。

でも逆に、私たち一人ひとりが「何事も平和に物事を進めなければならない」と強く思っていたら戦争を止めることもできるのではないかと思う時もあります。

そのためには、私たち一人ひとりが、戦いで物事を処理するような考え方を捨てて、平和を造り出す人間になってゆかなければならないと思うのです。

もちろん、私は完璧な人間ではありません。

でも、平和を造り出してゆくために努力する人間でありたいといつも思っています。

そのためにも、私たちは、自分自身の個人的なものの言い方や、他の人に対する接し方からも平和を造り出して行けると思うのです。

そして、それを世の中のどこでも通用するような考え方に広げてゆけば、戦争を防ぐことができるかも知れませんし、そうしなければいけないと思うのです。

私たち一人ひとり、お互いに戦いのない世の中がいつまでも続くように、願いながら、日々を生きていきたいと思うものです。

 

10月より、高橋先生にお話しいただきました。

半年間ありがとうございました

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