礼拝の話

2022/03/14 

3月8日(火)聖書 詩編 46編2~4節(旧p.880)音楽科 三浦

今週、金曜日、3月11日は東日本大震災から11年を迎えます。

2011年3月11日14時46分、東北地方を巨大地震が襲いました。

この3月11日の2日前、3月9日、宮城県は震度5強の地震に見舞われました。

仕事を終え、帰宅し、母と連絡を取りました。

「震度5強だったみたいね。特に問題は?ないならよかった。まぁでも、そろそろ県沖地震も来そうだから気をつけてね」。

これが、9日の親子の会話です。

そして2日後。

急いで知らせに来てくださった事務の方に、先程はお知らせいただきありがとうございますと言いながら、つけてもらったテレビを見ると、信じられない文字が目に入りました。

「震度7・マグニチュード9」

一瞬思考停止です。

いったいどんな大きさの地震が襲ったのか想像ができませんでした。

背筋がスーッと冷えていくのを感じました。

どうにか翌朝までに家族の無事は確認できましたが、その後1週間は音信不通でした。

5月のゴールデンウィークは、少し長めに帰らせてもらい目にしたものは、壊れたものが山積みになっている公園、まっすぐだったアスファルトが地震のエネルギーで隆起し、でこぼこになっている道路、ヒビが入った壁。

どれもが鮮明に地震の被害を物語っていました。

私は3月11日が近づくと、この震災の話をします。

それは、私たちは忘れやすい生き物だからです。

今、実際に自分の身に起こっていないことを覚え続けることが難しいからです。

でも、今でも見つかっていない家族を待っている人がいます。

自宅に帰ることができずに、避難生活を継続している人がいます。

自分の生きてきた人生の中で、自分の生まれた土地よりも、避難した土地での生活が長くなった人もいます。

その一人ひとりがその身をもって、私たちに教えてくれることは、生きていること、今自分が家族と一緒にいること、ふつうの日常がふつうにあることへの感謝だと思います。

高知県は南海大地震に見舞われることは言われています。

それがいつ起こるかはわかりませんが、日頃から備えておくことが一番の災害対策になります。

ひるがえって、ウクライナの現状はどうでしょう。

戦争は人間が引き起こすものです。

であるならば、止めることができるのも人間しかいません。

遠い地のこと、と自分のこととして考えないことが、やがて私たち自身の平和をおびやかすことになることも考えなければなりません。

平和は私たち一人ひとりが考え続けなければ、あっという間になくなるものだということを私たちは、今回の戦争の開始で知りました。

平和を守るためには、やはり1対1、私とあなた、私とその人、その関係を第一歩に考え続けていく事が必要です。

そのことを覚えて歩む者でありたいと思います。

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