礼拝の話

2020/03/17 

3月16日(月)聖書 マルコによる福音書 4章21~25節

電気のない時代には夜を過ごすために「ともし火」は大切なものでした。

油を入れた小さな皿に灯心(とうしん)を浸して、それに火を灯してあかりにしたのです。

このともし火は部屋の中心に置かれて、部屋の中を明るく照らしました。

現代の電燈に比べればずっと弱く、小さな光でしたが、それは部屋のすみずみまで照らして全てを明らかにするものでした。

イエス・キリストは私たちのともし火です。

そのともし火に照らされて私たちははっきりと物事を見ることができるようになるのです。

信仰の目を持って、キリストのともし火をしっかりみつめて行きましょう。

そのために私たちを導くものとして、聖書が与えられています。

「聞く耳のあるものは聞きなさい」と書かれていました。

私たちを導いてくれる言葉をしっかりと聞く人は成長します。

聖書のみ言葉を、私たちを心配してくれる人の声を、励ましと愛の言葉を、私たちはしっかり聞いて、本気で受け止める人でありたいと思います。

「自分の量るはかりで量られる」とも書かれていました。

「自分のはかり」とは「自分の価値判断」の事です。

「自分の量るはかりで量られる」とは、私たちを導いてくれる大切な言葉を聞いても、自分勝手な価値判断で相手の話を聞いてしまうと言う事です。

自分の思いだけにとらわれて聞いていたら、どんなに良い言葉を聴いても、本当に大切なことは理解できないのです。

自分の思い込みや価値観にとらわれて、貴重な言葉を聞き逃したくはありません。

「さらにたくさん与えられる」と書かれていました。

自分勝手な思いを捨てて、素直に聞く人はたくさんの祝福を与えられる、という意味です。

聞かない人は祝福を得ることができません。

それがその人の「はかり」の大きさだからです。

はかりの大きさは、人間の大きさという意味ではありません。

むしろ、自分の思い(人間の大きさ)を捨てて、悔い改めの思いを持って、聞くことができるかどうか、です。

聞いて、自分自身を変えていくことができるかどうか、です。

詩篇に「あなたのみ言葉はわが足のともし火、わが道の光です」と書かれているように、ともし火はいつも私たちの行く道を照らして、導いてくれます。

そのともし火のみ言葉を素直に聞いて歩んでいく時、私たちの思いを越えためぐみと祝福が与えられると私たちは信じることができるのです。

2019年度が突然終わってしまいました。

毎日続く平凡な日常がどんなに大切かを感じた学年末でした。

世界は今、大きな不安の影におびえています。

それでもなお、ともし火はそこにあります。

小さなともし火がゆらめきながら、私たちの道を照らしています。

キリストは私たちの不安の中にも共にいてくださるのです。

情報の洪水の時代を生きている私たちには、本当に聞くべき言葉をしっかりと聞き取る力が今こそ必要なのです。

平凡な一日一日を大切に。この一年の守りと導きを感謝し、次の年度に備える日々を過ごしてください。

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