礼拝の話

2023/03/09 

3月7日(火) 聖書 フィリピの信徒への手紙 1章9~11節 音楽科 三浦

しばらく前に、各地で議論を呼んだあるニュースがあります。

広島市の教育委員会が、広島市内の小中学校への平和学習のプログラムから、漫画『はだしのゲン』を削除する、というものでした。

この動きがどうなるのか考えていた時、知り合いの先生からあるお寺さんを紹介するメールが来ました。

お寺の入り口にある大きな掲示板に次のようにあったと言います。

「卑きょう者、臆病者といわれてもええ 非国民とののしられてもええ。自分の命、人の命を大切に守ることが 一番勇気のいることなんじゃ」。

2月21日に書いてあったものだそうです。

そして、この言葉は『はだしのゲン』に出てくる言葉です。

広島という場所に生きるお寺さんとして、今『はだしのゲン』が平和学習の現場から取り除かれようとしている中で、ここまではっきりと意思表明をすることは、覚悟や強い思いがなければできなかったことでしょう。

時代が変わっても、わたしたちが生きることや命について、変わることなく訴え続ける作品を大切にする必要があると改めて思わされた出来事でした。

わたしたちは日々、いろいろなことを考えて生活をしています。

よいニュースも耳が痛いニュースも、目を背けたくなるニュースもいろいろありますが、わたしたちはその1つ1つから、日々考えることを求められています。

わたしたちが日々学ぶ意味は、目先のことだけで自分の、そして人の利益を判断しないためなのだと思います。

その時代をどう生き抜き、このようにして生きざるを得なかった体験があったことを知ること。

今の平和が単純に降ってわいたものではなく、大きな犠牲の上にあることを「怖い!」という直感的な感覚のもとに感じ、これはいけないことだ、二度と繰り返されてはいけないことだと考え続けること。

その先に、わたしたちが人間らしく生きるために必要な知恵と力が与えられるのだと思います。

わたしたち人間の知恵には限りがありますが「知る力と見抜く力を身に付ける」ことにより、わたしたちの愛が深くなると、聖書は教えてくれます。

そして、その愛により、本当に重要なことを見分けられるようになるといいます。

この学年末の試験のために学んだことをテストの点数のためだけでなく、これからわたしたちが生きていくための考える材料にすることが求められています。

わたしたちが日々の生活の中で、本当に重要なことを大切にしていくことができるように、まずは、試験最後の1日。

しっかりと取り組みましょう。

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