礼拝の話

2022/04/15 

4月13日(水) 礼拝を考える 聖書 ローマの信徒への手紙 12章1~2節  校長 小西二巳夫

日本の伝統的な運動、稽古には道という漢字がついています。

道という漢字には、曲がったことを嫌い、人としてまっすぐに生きる人になる、という思いが込められています。

武道で相手と対戦する時、そして対戦を終えた時に行うのが礼、あいさつです。

武道は「礼に始まり礼に終わる」と言われます。

河井道という女性がいました。

1877年に生まれて1953年に75歳で亡くなりました。

神道の家に生まれた河井道さんですが、不思議な出会いによって北海道札幌にある北星学園という学校に入学しました。

河井さんの75年間の人生の多くは戦争の時代です。

日清、日露、そして第2次世界大戦まで、河井さんは徹底して戦争をすることに反対し、平和主義の道を貫きました。

その河井さんが人生の中で大切にしたのが、北星学園の毎朝の学校礼拝に始まり、やがて河井さんが東京で作った学校、恵泉女学園での毎朝の学校礼拝、さらに通っていた教会での日曜日の朝の礼拝でした。

河井さんの人生は神道の「礼に始まり礼に終わる」が、ある時からキリスト教の「礼拝に始まり礼拝に終わる」に変わったのです。

それでは清和のチャペル礼拝の目的は何でしょうか。

チャペル礼拝について清和ダイアリーの5ページに次のように書いてあります。

「礼拝は全校生徒と教職員が1つの場所に集まり、沈黙の祈りを経て、声を出して賛美歌を歌い、聖書の言葉をたどり、心を静めて語る人の話を聴き、祈りを合せることによって、自分を見つめ直し、その日をどのように過ごすのか、そしてこの時代をどのように生きるのかを考える時間です。礼拝を通して、自らと出会い、他者と出会い、社会と出会い、神と出会う、という体験をするのです。礼拝は、一人ひとりの内面に働きかけることによって、内なるエネルギーを引き出す成長のための場所にもなっています」。

この説明からわかることは、清和にとって、チャペル礼拝は、一人ひとりの心を満たすための、なくてはならないものだということになります。

清和がチャペル礼拝を毎朝行うのは、イエス・キリストが自分に寄りそってくれているということをより深く感じるようになるためです。

イエスが自分と共にいてくれるということがわかると、生きる力がわいてきます。

自分一人でがんばらなくてもいいということです。

それがわかると肩の力が抜けて、安心感が生まれます。

そして、もう一つはいきいき学ぶ人になってもらうためです。

せっかく清和の生徒になったのです。

たとえいやなことやしんどいことがあっても、朝起きて、こうして学校に来たのです。

それをふてくされた態度で一日過ごしたのではもったいな過ぎます。

わざわざ来たのですから、いきいきと学んだ方がいいに決まっています。

そのために、清和は毎朝チャペル礼拝を行っているのです。

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