礼拝の話

2022/04/21 

4月15日(金) 聖書 エフェソの信徒への手紙 1章22~23節 校長 小西二巳

キリスト教教育週間5日目、今日は教会について話します。

ソクラテスのことを書いた本に「ソクラテスの弁明」というのがあります。

その中に「自分がよく知っている。わかっていると思うということは、もっと知りたい、という好奇心を失くすことにつながる。自分は何も知らないというのを自覚しながら、もっと知りたいという考えをしなければいけない」というものがあります。

大人も子どももよく使う言葉に「わかってる。言われなくてもわかっている」があります。

そういう言葉で返事をしている間は人間として成長できないということです。

わかっているつもりで、実は何もわかっていないことの1つに「神という存在」があります。

その人が信じようが信じまいが、そんなこと関係なく、一人ひとりを愛している、大切にされる、これがキリストの神の本来のあり方です。

神の方が一枚も二枚も上手だということです。

一人ひとりがどう考えようが、神は一切気にしないとの証拠があります。

それがイエス・キリストが十字架の上で死んで復活したとの出来事です。

キリスト教には3つの大きなお祭り、祝日があります。

クリスマスとペンテコステです。

クリスマスがキリストの誕生を記念する日なら、ペンテコステは教会が誕生したのを記念する日です。

ペンテコステは毎年5月から6月ごろの日曜日、今年は6月5日に行います。

そしてキリスト教で一番古くから大切に祝われてきたのがイースターです。

これは十字架で死んだキリストが復活したのを記念するお祭りです。

今年のイースターは4月17日です。

キリスト教はなぜイエス・キリストの復活を大切に考えるのでしょうか。

それはキリスト教の出発点、その人ができる・できないにかかわらず、何にも勝って価値があることを示す出来事だからです。

教会はキリストが復活したという、何よりも大きな希望を忘れないで生活するために、毎週日曜日に礼拝をするようになりました。

十字架で死んだキリストが復活した理由が、自分の力や意志で成長できない私のため、とわかると、前向きに生きたくなります。

希望が生まれます。

清和で学び働く私たちが、この1年精一杯生きられるようになるためにイースターがあるのです。

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