礼拝の話

2021/04/12 

4月9日(金) 聖書 コリントの信徒への手紙Ⅰ 3章6~7節 社会科 山脇

私の家にはレモンの木があり、毎年、夏場から秋にかけて小さな白い花を咲かせてくれます。

柚子やみかん、柿などの果樹は、表の年と裏の年があるといいますが、不作の年でもだいたい10個以上は実をつけるので、いくつか黄色になりかけたレモンが育っていました。

「今年もレモンがなってるなぁ」とレモンの木を見ながら、年末に庭の大掃除を行いました。

雑草を引きつつ、植木鉢とプランターに残っている土は、庭にある木の根元に戻すという作業を丸一日行うと、見違えるように庭が綺麗になりました。

「これで気持ちよく新年を迎えられる」と、作業をやりきった充実感もあり、年末年始を気持ちよく過ごすことができました。

その後、あまり気にすることはなかったのですが、2月のある日、レモンの木が弱っているのに気が付きました。

よくよく見てみると、木の幹が黒く変色し、乾燥し、枝に触れると「ポキッ」とすぐに折れてしまいます。

年末には元気だったはずのレモンの木が、わずか2カ月でなぜこれほど弱ったのか、不思議でなりません。

あれこれ思い返してみると、ひょっとしたら年末の大掃除で植木鉢やプランターに残っていた古い土を根元に撒いたからかなぁ、と思うようになりました。

あわてて根元の土を取り除け、弱っている枝を落としていきました。

せっかく大きく育ったレモンの木なのに、自分の不注意で枯れさせてしまったかもしれないと思うと寂しくて、とにかくこれ以上弱らないことを祈りながら枝打ちを進めました。

先日、犬の散歩に行く前にレモンの木を確認すると、枝を切った所から少しずれた場所に新しい枝が伸びてきているのを見つけました。

もうダメか、と思っていたレモンの木は、しっかりと新しい枝を出していたのです。

変色し、乾燥してしまっていたレモンの木は、決して枯れてしまったわけではなく、しっかりと生きていました。

表からは見えなくても、根から必要な栄養分をとっていたのでしょう。

庭にはレモン以外にも、数年前の暴風で根っこが浮き上がり、壁にもたれ掛かりながらも満開の花を咲かせる桜、知らない間に実をつけるきんかん、ほったらかしにしていたのに綺麗な花を咲かせているブルーベリー、むちゃくちゃな手入れをしているにも関わらず、現在満開の花を咲かせているバラなど、どれもこれも、個性的な形で、それぞれの花を咲かせています。

農業のプロから見れば、私の庭木の手入れは、素人そのものですが、素人のつたいない手入れにも関わらず、それ以上に、それぞれの木が強い生命力を持っていることを、レモンの木から感じました。

土の中で根がしっかりと張っているから、弱っても完全に枯れることなく、元気を取り戻してくれるのだと思います。

私たちは、毎日の生活の中で、表の部分、目に見える部分だけでなく、木でいえば根っこの部分を養っているように思います。

見栄えや出来栄えの良さだけではなく、日々の生活の中で積み重ねていく地道な努力、日々の生活の中で感じる悩みや不安、そこから少しでも前を向こうと気持ちを切り替え、一歩ずつ歩もうとする勇気。

そのような、毎日の歩みの中で積み重ねていく多くの経験、様々な人との関わりが、私たちの根を育ててくれるのだと思います。

土にしっかりと根を張る木のように、私たちの根も、少しずつ丈夫に育っていくのでしょう。

今日読んだ聖書には、「大切なのは植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です」とありました。

様々な経験を通して、私たちの根は育てられ、完全に倒れてしまうことのないよう、しっかりと根が張られていきます。

その成長を、目には見えない神が導き、助け、支えてくれると聖書はいいます。

新しく始まった清和での学びが、皆さんの根を育てるものになることを願っています。

そして、神がその日々の歩みを支え、私たちを成長させてくださることに感謝したいと思います。

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