礼拝の話

2022/05/26 

5月23日(月) 聖書 マタイによる福音書 5章43~46節 校長 小西二巳夫

近代の哲学者、カントは「永遠平和について」という本を書いています。

この本の中に、今世界が直面している状態を表す言葉がいくつも書かれています。

「将来の戦争を見こして結んだ平和条約は、平和条約ではない」。

「隣り合った人々が平和に暮らしているのは、人間にとってじつに『自然な状態』ではない。いつも敵意に脅かされているのが『自然な状態』である。だからこそ『平和な状態』を根づかせなくてはならない」。

平和というのは当たり前にあると思うのはとんでもない勘違いだというわけです。

人間の間にふつうにあるのは、愛するなどのやさしさなどではなく、敵意や憎しみというのです。

だから何もしないで放っておいたら国と国の間には当たり前に戦争が起こるのです。

それは国と国の間という大きなくくりだけに限りません。

同じ国の中でも起こります。

もっと身近な場所いうと、同じ学校の中で、同じ学年の中で、同じクラスの中でも、敵意を持つことや憎むということは、いつでも起こる可能性があるのです。

そして、そういう人間の心を一番よくわかっていたのがイエスです。

イエスは言いました。

「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、私は言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか」。

イエスがここでいう敵というのは誰のことかがカギです。

それは初めから敵だった相手のことではありません。

昨日まで仲良くしていた相手のことです。

自分が大切だと思っていた友だち、仲間のことかもしれないのです。

何かがあって、仲間・友だちと思えなくなった人の可能性があるのです。

私たちは、自分の都合で相手を、いつでも友だち・仲間、隣人から敵にすることができるのです。

それがそのまま当てはまるのがロシアとウクライナの関係です

ロシアにとってウクライナは歴史的、民族的に大切な仲間、兄弟であったのです。

平和な関係にあったのです。

ところがロシアはウクライナを自分の都合で一瞬にして敵にしてしまったのです。

そこに人間の、そして人間社会が持つ弱さを見ることができます。

だからイエスは言ったのです。

「平和を実現する人々は幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」。

イエスは平和は与えられるものはないと考えているのです。

平和は自分たちの手で作り出すものですと言われたのです。

イエスのその思いを英語の2つの単語がよく表しています。

PEACEとPIECEです。

PEACEとPIECEの関係をイエスの言葉「平和をつくり出す人々は幸いである」に重ねると、平和は1つ1つのカケラ、部分を重ね合わせることによって実現するものとなります。

平和のための一つひとつのカケラが何か、何が平和を作り出す一つひとつの部分になるのか、それを考えるのが、清和に過ごしている私たち与えられた大切な使命です。

それをしっかり考える機会をぜひ持ちたいと思います。

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