礼拝の話

2022/05/27 

5月26日(木) 聖書 創世記 33章1~4節 日本キリスト改革派 高内信嗣牧師

毎年、現役女子中高生100人が調査する「JC・JK流行語大賞」というものがあります。

「ヒト部門」、「モノ部門」、「アプリ部門」、「コトバ部門」に分かれていますが、昨年「コトバ部門」で1位になった言葉は「きまZ」という言葉でした。

意味不明な言葉です。

あるYouTuberが発したことによって広まったそうです。

「気まずい」という意味だそうです。

またネットの別のランキングでは1位が「きまZ」で4位に「きまず」という言葉がランクインしていました。

これも「きまずい」という意味です。

若者たちも「きまずさ」で悩んでいるということが良く分かりました。

生きていると、気まずくなる場面、よくありますよね。

先生ときまずい、友達と気まずい…。

実は聖書の中でも、気まずい場面があります。

ヤコブという人が、兄エサウと久しぶりに再会する場面です。

ヤコブは双子の弟でした。

当時の世界ではお兄さんに多くの特権が与えられることになっていました。

ヤコブとエサウの父であるイサクは兄エサウに神の祝福を与えようとしていましたが、ヤコブはヤコブを愛していた母の指示に従って、目の不自由な父を欺き、エサウがもらうはずの神の祝福をだましとってしまいました。

兄エサウはこのことをとても恨んで、ヤコブのことを殺そうと思っていました。そのことに気づいた母はヤコブを遠くへ逃がします。兄を裏切った過ちによってヤコブは家から離れなければならなかった。

孤独の中で彼は夢の中で神と出会い、そこから彼はどんどん砕かれていきます。神の大きさに気づいた彼は自分の小ささを自覚していきます。今日読んでくださった聖書の言葉は、ヤコブが久しぶりにお兄さんに合う場面です。兄が自分を殺そうとしていたことを知っているので、超気まずい場面です。

しかし、ここでもう兄を欺いたヤコブの姿はありませんでした。ヤコブは兄のもとに着くまでに七回も地にひれ伏しました。神の前で砕かれたヤコブは、かつて欺いたエサウの前でも砕かれていました。兄エサウも、もうヤコブを憎む心をありませんでした。2人は和解したのです。

私たちは今、このチャペル礼拝で神を礼拝しています。目に見えませんが、とても大きな方です。私たちを愛し、赦してくださる方です。大きな方を見つめる時に、私たちは自分自身が砕かれます。暖かい言葉に慰められ、厳しい言葉によっても磨かれます。

この砕かれる心こそ、人と向き合う時にも大切と思います。生きていたら気まずい場面だってあります。理不尽なこと、友だちを傷つけること、喧嘩することだってあると思います。だからこそ、私たちは毎朝、神と向かい合って、心砕かれたいと思います。

神の前で砕かれるならば、きっと人との関係の中でも、自分を低くして生きることができるはずです。このチャペルで心砕かれて、私たちはまたこの一日、一人ひとりと向き合っていきたいと願っています。

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