礼拝の話

2020/05/28 

5月27日(水)聖書 ヨハネによる福音書 15章5節 日本基督教団 土佐嶺南教会 鍋谷仁志牧師

先日、我が家にぶどうの鉢植えがやってきました。

植木鉢の土の中から細い幹が伸びて、鉢の周りにさしてある支柱にぐるぐると絡みついています。

その幹からさらに細い枝が出て、その枝から大きな緑の葉っぱが伸びています。

いくつかの枝からはぶどうの実の房がぶら下がっています。

我が家に来た当初は、緑色の実でしたが、だんだんと紫色に変わっていきます。

おもしろいのは、房ごとに色づいていくのではなく、1つの房に緑の実と紫の実があって、それぞれがだんだんと色づいていくということです。

イエスさまは「私はぶどうの木、あなたがたはその枝である」と言われます。

本物のぶどうの木を見たことがなかった私はこの言葉を聞いて、最初に立派な木を思い浮かべました。

地面から太い幹が伸びて、その幹から伸びた枝にたわわにぶどうの実がなっている、そういう木の姿です。

ところが今夏、初めて本物のぶどうの木を見たら、細い幹でした。

調べてみるとぶどうの木の写真は、細い幹がどんどん伸びて、支柱に絡みついて、そこから枝が出、葉が茂り、実がついていく、そういうものでした。

改めて考えてみると、このぶどうの木の姿こそ、イエスさまにふさわしいのかもしれないと思いなおしました。

1つは、イエスさまは神の子、神ご自身であったのに、私たちと同じ人間になられた。

イエスさまが私たちをその枝としてつなげるためにぶどうの木となって、この世界に来てくださったのです。

もう1つは、長く続く幹に細い細い枝がついていて、それは弱く小さい私たちのところに、どこまでも寄り添ってくださるイエスさまを表しているのではないか、と。

いつも私たちのすぐ近くまで来てくださり、私たちにいつでも寄り添ってくださるイエスさまが私たちを豊かに実るぶどうの実にしてくださいます。

今日も私たちはその実を豊かに実らせる力を神さまから与えられて、新しい1日の活動を始めます。

ぶどうの味がそれぞれに違うように、私たちがそれぞれに実らせる実や成長度合いも違います。

まだ熟さない実と甘くなった実が1つの房に同居しているように、私たちのどの実が色づくのか、この実が色づくのはまだ先なのか、今日、私たちのうえに起こる新しいことを楽しみにしつつ、今日の歩みを始めましょう。

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