礼拝の話

2022/07/04 

6月21日(火) 聖書 使徒言行録 20章35節 社会科 山脇

私の家には犬一匹と、猫二匹が住んでいます。

犬の名前はチャチャ、女の子です。

猫はサバトラのトトと、黒猫のルル、ともに男の子です。

人にモーニングルーティンがあるように、犬にも猫にもモーニングルーティンがあります。

犬のチャチャは、朝、私が起床して動き出すと、すぐに反応するようです。

私がケージの所まで来ると、右前脚で「手招き」みたいな仕草をします。

食事を与えるとあっという間にそれを食べて、満足するとしばらくケージの中で寝そべってゆっくりします。

その間、私はコーヒーを飲んだり、新聞を読んだりして過ごします。

そろそろ散歩の時間かな、と私が動き出すと、チャチャも「散歩かな?」という顔をします。

ケージの扉を開くと、チャチャはゆっくりケージから出てきますが、床でゴロゴロしたいらしく、ケージから出てきた後、今度はリビングのフロアで寝転がります。

私が近づいて頭やあごを撫でると、チャチャは仰向きになって、さらにゴロゴロし始めます。

完全にお腹を天井に向けて、まるで「もっと撫でて」と言わんばかりです。

こうなると、撫でるよりほかありません。

耳の後ろやお腹を撫でながら、チャチャの顔を覗いてみると、満足そうな顔をしています。

一通り、撫でてもらったあと、リードをつけてもらって散歩に行くというのが、チャチャのモーニングルーティンです。

犬と違って猫は自由奔放です。

夜中にいきなり大運動会を始めたり、休日、アラームをつけずにゆっくり寝ていると耳元に来て「ニャー」と泣いたり、お腹の上に上がってきて前足でフミフミを始めたりと、とにかく自由です。

そんな自由なトトとルルですが、朝、犬の散歩から帰ってきて部屋に入ると、トトは足にまとわりついてきて、撫でてほしいアピールをしてきます。

ルルは私の横まで来て、まるで「撫でなさい」といった感じでたたずみます。

しばらくトトとルルの両方をワシャワシャと撫でて、私が腰を上げると2匹とも部屋から出る準備をします。

これも猫のモーニングルーティンだな、と思います。

犬と猫の朝のルーティンは、「撫でてもらう」という所で共通しています。

そしてもう1つ共通しているのは、撫でられている時に何とも言えない表情をすることです。

気持ちよさそうな表情をするので、多分嬉しいのだろうなぁ、と思います。

では撫でている自分はどうかというと、やはり嬉しいのです。

眠たいなぁ、と思いながらもおへそを天井に向けて床に仰向けになっているチャチャを見ると、ついつい撫でてしまいます。

撫でている時は何だかこちらも嬉しくなるので不思議なものです。

嬉しくなるというより、穏やかな気持ちになると言った方が良いのかもしれません。

今日読んだ聖書箇所は、パウロがエフェソの町に別れを告げる際、教会の長老たちに話した言葉の一節です。

エフェソの長老たちに別れを告げる時、パウロはイエス・キリストの言った「受けるよりは与える方が幸いである」という言葉を思い出しましょう、と語りました。

与えられることだけを求めるのではなく、イエス・キリストがそうであったように、私たちも与える者となりましょう、とこの箇所でパウロは言います。

パウロ自身がイエスの教えを人々に教えるなかで、エフェソの人々から多くのものを与えられたことに心から感謝しているからこそ、パウロはこの言葉を送ったのだと思うのです。

つまり、エフェソの人々にイエスの教えを与えたパウロは、それ以上の励ましや支え、勇気をエフェソの人々から受けていたということを実感していたのでしょう。

ですから、自分の体験も踏まえて、「与える方が幸いである」「与える方が幸福である」と言ったのだと思うのです。

心から誰かのために与える人は、それ以上の幸せを受け取るということをパウロは知っていたのです。

そう考えると、私は犬のチャチャや猫のトトとルルに食事を与えたり、お世話をしたりしていますが、それ以上ものを逆に受け取っているんだなぁ、と思いました。

私たちは、周りの人と関わりながら日々の生活を送っています。

その中で、お互いに与えるだけでなく、多くのものを受け取りながら歩んでいます。

時にはぶつかる時もありますが、様々な経験を通して、私たちは成長させてもらっているのだと思うのです。

そのように、お互いに関わりのある一人ひとりであることを心に留めて、今日と言う一日の歩みを大切にしたいと思います。

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