礼拝の話

2022/07/04 

6月29日(水) 聖書 マタイによる福音書 25章14~15節 英語科 楢本

「頑張る」とは物事に一生懸命取り組む、手を抜かず、適当にごまかしたりせず、今持っている全力を尽くして事に当たる、努力する、ということです。

でも時々、あんまり「頑張れ」「頑張れ」と言われると重荷になってしまうことがあります。

一生懸命やっているつもりなのに成果が上がっていない気がして、自分だけが取り残されて、こんなこと頑張っても無駄じゃないのか、とさえ思えてくる時はありませんか。これは、多くの場合「頑張る」のスタートとゴールが間違っていることから来るのです。

多くの人は、人間は頑張って努力しなければいけない、と考えます。頑張って努力するとだんだん良い結果を手に入れて、良い人に、偉く、立派になれる…と考えます。

実はこれが袋小路の入り口です。

一生懸命頑張ることはよいことのはずなのに、なぜこんなことになるのでしょうか。聖書に聞いてみましょう。聖書の語る人間観は全く正反対です。聖書の人間観は私たちに自分の努力で完璧になることを求めていません。

人間は自分で完璧に良い人間になることはできないと言っています。それは人間が自分では直せない悪い所をもっているからです。頑張って努力しても自分でその罪を消すことはできません。人間にはそういう弱さ、限界があるのです。

でもその罪を神のひとり子であるイエスさまが身代わりに負ってくださいました。だから人間は弱いところをもったままで、神さまに許してもらえることになったのです。しかも神さまは私たちを許してくださっただけでなく、一人ひとりに豊かな賜物を与えてくれました。賜物とは一人ひとりに与えられている才能、いろいろな能力のことです。

私たち人間はそれがうれしくて、一生懸命頑張るようになりました。それが、私たちが「頑張る」本当の理由です。私たちは神の高みに到達しようとして頑張るのではなく、神さまのもとから「さあ、その賜物を持って行っておいで」と送り出されたのです。今日読んでいただいた聖書は「タラントンのたとえ」と呼ばれる箇所です。主人からそれぞれ預けられた財産をどうしたのかが書かれています。預けられた財産と言うのは私たちが神さまから頂いた賜物のことです。

1タラントンの僕は与えられた賜物の力を信じることができませんでした。だから今あるものを精一杯使って努力することをしませんでした。ご主人に預けられた財産、賜物は生かされませんでした。自分の力でやってやろうという頑張りではなくて、与えられている神さまの豊かな賜物に感謝して、のびのびと努力できる、その頑張り方が私たちには与えられています。私たちの頑張りは神さまから与えられた赦しと豊かな賜物に対する応答です。だからもっとのびのびと努力して良いのです。言い換えれば、もっと自分を信じて良いのです。まだ花開いていないかもしれないけれど、私たちには与えられた賜物があるからです。

今日は期末試験の発表です。周囲からも「頑張れ」と言われ、自分でも「頑張る」と目標を書くでしょう。でも、その頑張りがつぶれてしまわないように、次のことを覚えていてください。

「みなさんには神さまからそれぞれに賜物が与えられている。だからみなさんには今やるべきことに取り組む力が与えられている」ということです。

「どうせやってもできない」とか「よう覚えんし」と思っている人はいませんか?

それではご主人から預かった1タラントンを地面に隠しておいた僕と同じです。手を抜かず、ごまかしたりせず、今持っている全力を尽くして試験の準備をしましょう。そのがんばりがあなたの賜物を輝かせます。頑張ることは自分自身を磨くことだからです。

みなさんの試験期間が守られて、最後まで頑張れますように、祈っています。

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