清和女子中高等学校。創立113年の高知県の私立女子校。キリスト教主義の中高一貫校です。
2023/07/21
今から57年前、私が中学2年生の時のことです。
夏休みに同級生のNと島根県の松江出雲、隠岐の島に4泊5日の旅行に出かけました。
旅行3日目、日御碕灯台近くの食堂で昼ご飯を食べている時、Nが突然「お前のお箸の持ち方、カッコ悪いで、お前とご飯食べていても全然おいしくない。それに、そんな持ち方していたら、笑われるで。一番笑われるのは、おばちゃんやで」と言いました。
ドキッとしました。
確かに私のお箸の持ち方は小さな子どもの握り箸に近かったからです。
そのことで、母からさんざん注意されてきましたが、その度聞き流していました。
その日の午後、日御碕灯台に登ることにしていましたが、Nに厳しい言葉を言われた後だったので、163段のらせん階段を上るのがしんどかったのを覚えています。
私がこのことを思い出したのは、宮本輝の「灯台からの響き」と言う小説を読んだからです。
主人公の牧野康平は62歳で、東京の下町で中華そば屋を営んでいました
店の2階には康平の本棚があって、そこには2000冊の本が並んでいます。
康平がある日、「神の歴史」を読み始めた時、本の間に2年前に死んだ妻の蘭子さんに30年前に届いた葉書が挟んでありました。
はがきの上半分には「大学生活最後の夏休みに灯台巡りをしました。見たかった灯台のすべてを見て満足しています」と言う言葉が、そして下半分には細いペンでどこかの岬らしいジグザグの線が描かれていました。
康平が30年前の葉書のことを覚えていたのは、蘭子さんが差出人の小坂真砂雄という大学生を知らないと言ったこと、そして「はがきが届いたが私はあなたをまったく知らない」と書いた返事のはがきを自分が頼まれてポストに入れたからです。
康平が本を読み始めたのは24歳の時です。
きっかけはうれしいことではありませんでした、
幼馴染の倉木寛治から「お前と話しているとおもしろくない。腹が立ってくる。お前の話がおもしろくないのは、お前という人間がおもしろくないからだ。お前には雑学が身についていない。大学というところは、専門の学問を学ぶよりも、もっと重要なことが身につけるところだ。…とにかく本を読め。小説、評論、歴史書、数学、科学。なんでもいい。活字だらけの本を読め。優れた書物を読み続けることで人間は成長できる」と言われたのです。
小説を読み進めていくと、康平は30年前に妻の蘭子さんが小坂真砂雄のはがきに返事として書いた言葉の意味を理解します。
ぜひ読んでみてください。
さて、私は日御碕灯台のそばの食堂で「お箸の持ち方」についてNから厳しい言葉を言われたのを忘れたことはありませんでした。
去年の夏、名古屋に住むNと食事をした時に、中2の夏休みの旅行の話になりました。
そこで、私はNにお箸の持ち方で厳しい言葉を言ったのを覚えているかを聞きました。
そうすると、Nはまったく覚えていないというのです。
さらに、もし誰かにそれを言われたとしたら。それは自分ではなく他の友だちではないかと言いました。
よく言われることに「された方はいつまでも覚えているけれど、した方は覚えていない」がありますが、まさにそれだと思いました。
その私のNの言葉の受けとめ方がまだまだ表面的であったことを「灯台からの響き」を読むことによって思い知らされたのです。
Nは知らないとの言葉でもってあのことはもう忘れたらいい、お前があの時、俺の言葉を真剣に受けとめてくれてうれしい、と言ってくれていると言うことに気づかされました。
今、多くの人がコミュニケーション手段としてSNSを使います。
SNSのやり取りの特徴に、使う言葉が短い、ということがあります。
わかっておく必要があるのは、短い言葉には受けとめ方がいろいろあること、そのために誤解されることがよくあることです。
相手のためと思って書いた言葉が、批判されたと受けとめられたり、褒め言葉として送られてきた言葉を、悪口を言われたと思い落ち込んだり、それがもとで人間関係をこじらせ、壊してしまうことも当たり前のように起こす人が多くいるのです。
言葉を深く考える力があれば、たとえマイナスの言葉が送られてきたとしても、それを自分にとってプラスの意味に読み替えることができるのです。
言葉を深く考えられるようになることが、自分の命と人格を守ることになるのです。
言葉や物事を深く考えることは、神に人間に与えた最大の恵みです。
その力をしっかり身に付けるためには、康平が倉木にいわれたように、とにかく本を読むことです。
SNSトラブルが一番起きやすい夏休みが、たくさんの本を読む絶好の機会でもあるのです。
今年の夏休みをどちらにすればよいのか、言うまでもありませんが、あえて言います。
9月、2学期が始まる時に、今年の夏休みはしっかり本を読むことができたと、ぜひ言えるようにしたいものです。