礼拝の話

2023/09/08 

9月1日(金) 聖書 ヨハネの手紙Ⅰ 3章16~18節 校長 小西二巳夫

今日から2学期が始まります。

63年前の今日、9月1日が「防災の日」と決められました。

これは今から100年前の1923年9月1日に発生した関東大震災にちなんだものです。

東京を中心とした関東地方に発生した関東大震災によって、10万5000人が犠牲になりました。

今のようにテレビやラジオ、インターンネットでリアルタイムで知ることなどできませんでしたから、何が起こったのかわからず、不安や恐怖からデマが飛び交いました。

今日から「福田村事件」という映画の上映が始まりました。

これは朝鮮人云々のデマを信じた千葉県の福田村の村人が、避難をしてきた香川県出身の赤ん坊から年配者まで9名を虐殺した事件をテーマにしたものです。

関東大震災は間違いなく自然による大災害ですが、関東大震災は場合によって、自然災害が自然災害に終わらないことを教えてくれます。

自然災害にはさまざまな形で、人が人の命を奪うという大きな過ちを引き起こす力を持っているということです。

防災とは何ですか、と尋ねられると、たいていの人は反射的に「台風・地震・火事などの災害を防ぐ」と答えるようです。

間違ってはいませんが、当たっているとは言えません。

今年も豪雨などの自然災害によってあちこちで大きな被害が出ていますが、残念ながら、どのくらいの量の雨が降るかとの予想はできても、雨が降るのを防ぐことも、降る量をコントールすることはできません。

人間に防げることがあるとしたら、それは被害を小さくすることです。

そして大切なことは、正しい判断はできなくても、せめて間違った判断をしないことです。

それが、何についての判断かというと「命を守る」ための判断です。

関東大震災で、デマを信じた人たちのために、多くの朝鮮の人の命が守られませんでした。

2011年3月11日の東日本大震災で、すぐに高い場所に逃げなければならない時に、判断ができず、校庭に留まったために、津波によって多くの生徒の命が守られなかった学校がありました。

この場合の「命」というのは、体・身体、肉体と言った意味の命です。

ただ「命」というのは体・身体、肉体だけのことではありません。

シンガーソングライターの中島みゆきの曲に「命の別名」があります。

サビの部分に「命につく名前を「心」と呼ぶ 名もなき君にも 名もなき僕にも 命につく名前を「心」と呼ぶ」という言葉があります。

「命の別名」が教えてくれるように、命は心を表す言葉だということです。

命イコール心なのです。

心をとは人格、人権、その人の存在そのもののことです。

目には見えないけれど、間違いなくあるものです。

その心が壊されたら、人権が踏みにじられたら、人格と存在が無視されたら、つまりないものとされたら、その人は生きていけなくなるのです。

ところが、人は他の人の心を簡単に傷つけることをしてしまうのです。

それがそのまま起こったのが関東大震災でした。

その関東大震災が起こった9月1日を「防災の日」に決めた、そこに私は見えない力が、人間を超えた力が働いたと思わずにはいられません。

見えない力、人間を超えた力、キリスト教はそれを神の力と呼びます。

ということは9月1日今日を、今日から始まる2学期の1日1日を、清和に学び、清和で共に生活をする私たちに何より求められているのは、自分で自分の心を壊すような言葉や行動をする必要は何もにない、との自覚をしっかり持つことです。

そして、自分のように他者を愛しなさいと言われたイエスの言葉に従って、自分の心と同じように他の人の心も大切にできる自分自身になることです。

そうした関係をしっかり作り出すことが、防ぐことのできない大災害であってもオーバーカム、乗り越える力になっていきます。

この2学期をぜひそうした一日一日でしていきたいと心から願います。

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