礼拝の話

2022/07/11 

7月4日(月) 聖書 コヘレトの言葉 9章11節(前半) 校長 小西二巳夫

読んでいる新聞に風刺漫画が載っています。風刺漫画には一定のルールがあります。直接的な批判しないことです。直接的な批判は、いくらおもしろくても、笑えません。それは相手を傷つける、バカにすることになるからです。

あくまで遠回しな批判だから、思わずクスっと笑えるのです。描かれていたのは文庫本の表紙、タイトル「武器よさらに」作者ゼレンスキーとあります。ゼレンスキーというのはウクライナの大統領です。彼が今盛んに訴えていることがあります。ロシアの攻撃を食い止め、この戦争に勝つためには、アメリカやヨーロッパの国が今まで以上に兵器を提供してくれる必要があるという訴えです。「武器よさらに」と一字違う小説にヘミングウェイ「武器よさらば」があります。「さらに」と「さらば」はわずか一字違いですが、意味はまったく違います。

ヘミングウェイの「武器よさらば」の存在はたいていの人が知っていますが、最後まで読み切った人はあまりいないと言われています。理由は、とにかく長い小説だからです。「武器よさらば」の舞台は第一次世界大戦中のイタリアです。

第一次世界大戦は1914年に始まり1918年までの4年間続きました。人類史上最初の世界戦争です。この戦争で1500万人以上の人たちが死んだと言われています。アメリカがこの戦争に加わる理由をウイルソン大統領は次のように言いました。

「この戦争は戦争を終わらせるための戦争だ」

この言葉は戦争を正当化するためのキャッチフレーズとして、それぞれの国で使われていました。それを大統領のウイルソンが引用したのです。「戦争を終わらせるための戦争」と聞かされるとカッコよさを感じます。アメリカの多くの若い人たちもカッコよさを感じたのです。ヘミングウェイもその一人で、ボランティアとして戦争に参加したのです。ボランティアの語源はラテン語のボランタスで「自由な意思」という意味です。

それが第一次世界大戦の頃には志願兵という意味になりました。志願兵というのは自分の意志で戦争に参加することです。ヘミングウェイはボランティア、志願兵としてイタリアに行き、迫撃砲の攻撃を受けて、親友を失い、自分も重傷を負います。そうした自分体験を元に書いたのが「武器よさらば」です。

ヘミングウェイが「武器よさらば」を書いたのは1921年です。100年以上前のことです。けれど「武器よさらば」が書いているのは決して昔のことではありません。今のことです。「武器よさらば」で言っているのは武力を捨てない限り、戦争は終わらないです。

武器を捨てない限り、人間はそして世界は戦争から逃げられないということです。「武器よさらば」はそれが戦争の本質だと訴えているのです。「戦争を終わらせるための戦争」に似た言葉が最近よく使われます。「戦争をしないために軍隊を持たなければならない」「相手に戦争させないために、自分たちも自分たちを守る武力が必要である」

けれど「戦争を終わらせるための戦争」が正義でも何でもなく、次の大きな戦争の道を開くことになると証明したのが第一次世界大戦です。

「武器よさらば」ではなく「武器よさらに」という風刺漫画に、クスっと笑うだけに終わらず、それがこれから何を招くことになるのか、私たちはしっかり想像することが求められているのです。

旧約聖書の預言者イザヤは「国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない」と言いました。今から2600年以上前のことです。「戦争から学ぶことは何もない」と言ったのです。ニューヨークの国連広場の石の壁にはこの言葉が刻まれています。

日本も70数年前に起こした戦争から学ぶものは何もないことを言葉にしました。それが憲法の第9条です。憲法9条をめぐって、今さまざま意見が交わされています。それは大切なことです。大人子どもに関係なく一人ひとりが真剣に考えなければなりません。

しかし、今の憲法が生きている以上、イザヤの言葉を出発点とするこの言葉に誠実な生き方をすることが私たちに求められているのです。その気持ちをもって今週もそれぞれに与えられた課題に取り組んでいきましょう。

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