礼拝の話

2023/07/06 

7月5日(水) 聖書 マタイによる福音書 6章24節 日本基督教団 高知東教会 益敏牧師

今朝の聖書の箇所でイエスさまは「あなたは神か富か、どちらを主人として仕えるのか」と問われます。

両方に使えることはできない、と言われます。

中学生、高校生はいろんなことを勉強して、将来に備えています。

私たちの一生は一回きりです。

あなたは自分の一生を誰に捧げますか、何のために生きますか、と問うておられるのです。

清和の入口の石碑には「神は愛なり」と記されています。

神さまに仕えるとは、愛に仕えることです。

富に仕えるとは自分が得をすること、自分の欲望に仕えることです。

皆さんが学ぶのは、「愛に生きるための準備ですか、それとも自分の欲望に生きるための準備ですか」と問われています。

私たちには、たくさんしたいことがあります。

したくないことをするよりも、したいことして生きて行きたい、だれもがそう思っています。

ただ、それをすることが愛のためならば、私たちはそれをすることによって喜びをいただきます。

でも、それが富のため、自分の欲望のためならば、その喜びはその時だけの楽しみで終わります。

そればかりでなく、その一瞬の楽しみが、快楽になり、快楽は人を支配します。

そうすると、快楽という富に仕えるようになり、それが止められなくなってしまいます。

自分の心が、富に捕らえられてしまい、離れることが出来なくなってしまいます。

富は、さらにもっと欲しいという欲望を呼び寄せ、依存症を引き起こすからです。

私たちは、時々愛のために生きるよりも、富のために生きる方が得をするように思ってしまうことがありますが、心のどこかで自分が得をすることを先に考えていると、いつのまにか周りの人にその心が伝わって、関係を壊してしまいます。

私たちの欲張りの心、富を求める心、それは本当は富ではなくて、愛を求めているのではないでしょうか。

自分が愛されていることを知っている人は、愛を大切にします。

神さまは愛です。

私たちがこの清和に学んでいるということは、神さまの愛に気づかされ、神さまの愛に包まれて、欲望ではなく、愛に仕える人として生きるようにと招かれているということです。

愛をご主人様として、愛に仕えるために、今日の学びに励んでいただきたいと願っています。

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