礼拝の話

2023/09/14 

9月13日(水) 聖書 ヨハネによる福音書 10章11~16節 日本キリスト教団 高知教会 松浦子基牧師

今日の聖書の中で、イエスさまはご自分を「羊飼い」にたとえてお話をされました。

イエスさまの時代には、羊飼いという仕事を誰もが知っていました。

私の入学した大学では、学校の敷地内で羊を2匹飼育していました。

大学側が羊の飼育アルバイトを学生から募集していて、学生で羊の世話をしていました。

2匹の羊たちは朝、その学生に導かれて羊小屋から敷地内に放牧されます。

日中は大学内を2匹が自由に散歩していて、決められた時間になると2匹の羊は、羊の世話をしている学生に導かれて羊小屋に帰っていきます。

私は、いつも世話をしている先輩に連れられて二匹2羊がとことこ学校内を歩いている姿に心和ませていました。

大学2年生の時、夏休みの間に、夜、羊小屋の中に、野犬が襲ってきて1匹の羊が亡くなってしまうという事件がありました。

今日の聖書の中でイエスさまは「わたしは良い羊飼いである」と言われました。

イエスさまの時代にも、羊が狼に襲われることがありました。

その時に悪い羊飼いは、狼がくるのを見ると羊を置き去りにして逃げてしまいますが、よい羊飼いは、羊を守るために命を捨てる覚悟で狼と戦います。

よい羊飼いであるイエスさまは、世話をする羊を自分の羊として、愛情を持って、守り、導いてくださいます。

夜がやってきたら、羊が安心して眠れるように、片時も離れずに見守ります。

たとえ、狼が襲ってきたとしても、命を捨てる覚悟で、羊を守ってくださるお方です。

朝が来れば羊の名前を一匹一匹呼んで、青い草が生えている場所にまで導かれます。

このイエス様のたとえ話しを読んだ時、私は大学時代の経験を思い出しました。

そして私はイエスさまに導かれなければ生きていけない1匹の羊だと思いました。

学校の中にいた羊たちは、日中、自由に散歩していますが、方向音痴なので、自分たちの羊小屋がどこにあるのか分からなくなってしまいます。

羊飼いが導かなければ、家に帰ることもできません。

私も羊のように、導かれなければすぐに人生を迷ってしまい、帰る場所に帰れなくなってしまう方向音痴です。

ましてや狼が襲ってくるような命の危機的な状況の時に、立ち向かって戦う勇気は全く持っていません。

それでも、この私を導いてくださるお方がいるということ事を聖書から知りました。

イエスさまという1人のよい羊飼いによって、導かれる人生を私は、これからも生きて行きたいと思います。

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