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2023/10/11 

9月27日(水) 聖書 ガラテヤの信徒への手紙 3章26~28節 日本キリスト教団 高知教会 松浦子基牧師

私が大学の時、夏休みを利用して中国に初めて行きました。

国際飢餓対策機構が行っているスタディツアーに参加する形で雲南省に行きました。

国際飢餓対策機構では飢餓・貧困と闘いながら懸命に生きようとする人々に協力し、問題解決のために、教育支援、緊急援助、人材育成などを行う民間団体です。

スタディツアーでは教育支援が行われているチベット民族の住む地域に出かけました。

滞在していたホテルから、車で6時間、馬に乗って2時間、合計で8時間かかる山奥にある農村でした。

村の中心に、明らかに村に馴染まない真っ赤に塗られた建物がありました。

それは中国政府が建築した小学校でしたが、その学校に教師はおらず建物だけになっていたので、国際飢餓対策機構は村から歩いて8時間かかる町で、学校で学べるよう、そして子どもたちが寮生活できるよう支援活動を始めました。

驚いたのは10代前半の子どもたちが学校の先生になりたい、〇〇になりたい、などの将来の夢を具体的に持っていることでした。

10代前半の子どもなら、本当はあれもしたいこれもしたいとあいまいで、そしてやりたいことがどんどん変わっていいはずですが、10代前半の子どもが具体的な目標を持つのは、それはそれだけ厳しい生活を強いられている、そこで具体的な目標を持つことで、絶望しないで頑張って生きているからだと考えるようになりました。

子どもたちは、さまざまな緊張感がある中で、チベット民族としての自覚を持って生きていくことが大切であると教えてくれました。

私がスタディツアーで知った現実は中国のチベット族などの少数民族だけのことではなく、聖書に書かれていることそのものだということがわかりました。

今日の聖書の箇所の言葉を書いたのはパウロという人です。

パウロはユダヤ人の幸せや最高の生き方は、ユダヤ教のルールである律法を守ることだと固く信じていましたし、その律法を守らない生き方をする人たちを先頭に立って弾圧していました。

ところが、復活のイエス・キリストに出会うことにより、人にはそれぞれ違いがあり、それが大切にされること、特に立場の弱い人の生きる権利が守られることが、自分が本来目指すことだと知りました。

パウロはこうした自分の体験をもとにガラテヤ地方に住む人たちに、一人ひとりの人格や存在が大切にすることを第一に考えるよう手紙に書いたのです。

私は国際飢餓対策機構のスタディツアーに参加し、中国政府のチベット族への厳しい対応、特に子どもたちの教育について知りました。

それは偶然のことではなく、そこに神さまの導きがあったからです。

その私にできることは、子どもたちが、あれもしたいこれもしたいとあれこれ言える、やりたいことや関心を持つことがどんどん変わるような安心した毎日が過ごせるように、さまざまな形で私の体験を発信すること、そして、何より神さまに祈ることです。

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