礼拝の話

2023/09/08 

9月6日(水) 聖書 ヨハネの手紙Ⅰ 4章7~10節 日本キリスト教団 高知教会 松浦子基

今日は自己紹介もかねて私が大学生だったころのお話をしたいと思います。

私は愛知県に生まれ、高校を卒業するまでの18年間を過ごしました。

大学は千葉県にあるキリスト教の大学に進学し、寮生活をすることになりました。

ルームメートになったのは、ジンバブエという国から留学に来たティモシーさんでした。

ティモシーさんは本当に真面目で、日本の生活、文化に慣れようとし一生懸命勉強をしていました。

彼との生活を共にする中で、いろいろな葛藤が出てきました。

わたしはそれまで、人にやさしくすることは当たり前、学校の友だちの好き嫌いはあったとしても仲良くするのが当然だと思って生きてきましたが、本当の意味で相手を受け入れることができないという事に気づいてしまったのです。

ふつうに会話することはできても、心の底では彼を受け入れることが出来ない、そんな自分にすごく落ち込みました。

今朝の聖書の中に「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛した」と書かれています。

これはもともと「互いに愛し合いましょう」という呼びかけに応えることができない私たちに、神さまが自らの子であるイエスさまをお与えになるほどにあなたを愛しています、というメッセージです。

どんなに自分が良い人であろうとしても、相手を受け入れられない時があります。

それでもその私という存在を愛してくださる方がいる、私が神さまに愛されているように、ティモシーさんも同じように、神さまに愛されている存在であるということが、この聖書の言葉から改めて気づかされた時に、新しい視点が与えられました。

それは、私だけでなく、一緒に生活しているティモシーさんも慣れない日本での生活、ジンバブエに残した家族への思い、将来への不安などで苦しい思いをしているということです。

相手の痛みや苦しみに目を向けられるようになり、互いのために祈るようになりました。

神さまは私に、ティモシーさんとの半年間の寮生活を通して「愛すること」が一体何なのかという事を教えてくれました。

本当の意味で「互いに愛し合う」関係を、友だちや家族との間に作ることができます。

神さまがその事を私に伝えるために、ティモシーさんと出会わせてくださったことに感謝しています。

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