礼拝の話

2023/09/14 

9月8日(金) 聖書 ローマの信徒への手紙 12章15節 数学科 片山

私のこの夏の一番のイベントは野外音楽フェスに行ったことです。

イベントがすべて終わり、帰り道に友だちや弟とどんなアーティストが心に残ったとか、あの曲がすごかったなどあれこれ共有する時間もほんとに楽しい時間でした。

ですがその「共有の仕方」というものに疑問も抱きました。

SNSに写真や動画を投稿して、共有した気になっていないか、というものです。

いろいろ考え、この微妙な感情は何だろうと感じ、自分の自己満足を、他人に自慢をするために投稿していないか、ということを考えました。

今日の聖書箇所には「喜ぶ人とともに喜び、泣く人とともに泣きなさい」とあります。

喜ぶことはたいていの人ができると思いますが、共に泣くというのはすごく難しいことだと思います。

共に泣くということはただ一緒に涙を流したりするわけではありません。

言い換えれば、悲しみや、苦しみを共にしなさいということだと思います。

他者の悲しみや苦しみを共にすることは自分にとってすごくエネルギーを使うことです。

相手の状況を想像して、その時の感情を探らなくてはいけないからです。

喜びの共有もなかなかに大変です。

自分に全く関係ないことで喜んでいる人と喜びを共有するのも相当なエネルギーを必要とします。

ですがその相手に「どうしてだろう」「何があったんだろう」と思いを巡らす時間が本当に大切なのです。

近頃の脳の研究では、テレビ、パソコン、スマホ、SNSを使う生活によってだんだんと「考えを巡らし、想像する脳の機能」が低下することが分かってきました。

脳を使わないことにより、他人に対して、何をすれば相手が喜び、何をすれば嫌な思いをするかが分からなくなってきて、本当の共感ができなくなってきているといいます。

人は自分のことを分かってほしいという願いを持っています。

自分を分かり、受け入れてもらうためには同時にほかの人のことも考えることができるようになる必要があります。

自分を分かってほしいという自分の一方通行ではなくお互いに理解しあい、共感することが大切だったのです。

人に何かを伝えることや何かを教えることは本当に大切なことです。

その中で自分の感情や感動を大切にしつつ、人とのかかわりの中でどのようにすれば思いが伝わるか、どのようにすれば自分考えの共有ができるかを探りながら日々を過ごしていきたいと思います。

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